美濃 明知城



ファイルNo0926


                       北側の畝状竪堀           

① あけちじょう 
  別名  白鷹城

②住所:恵那市明智町城山
    旧:恵那郡明智町

③目標地点:県道33号線脇より 
       または大正ロマン館・代官陣屋跡より

④形式:山城  ⑤比高:70m 
⑥現況:山林

⑦遺構等:郭・土塁・堀切・畝状竪堀・石垣
⑧時代/人物: 鎌倉期~/遠山氏
⑨満足度: 凸凸
⑩最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  旧県道沿いから10分
⑪撮影・訪問時期:2004年08月・2018年02月

  

道案内 ←城跡    ←県道側登り口

中央高速道恵那インタを下り、県道66号線を進みます。国道19号線をガードで越え、5Km先道の駅そばの郷の佐々良木の信号で左折し国道418号線に入ります。7Km先で右折し国道363号線に入り、600m先で山岡駅前の信号で左手方向の国道を進みます。(右方向は県道33号線に入ります。) 6Km先の明智町中心部で市場町の信号で左折し県道33号線に入ります。坂を登って行きます。1.4km先、右折します。県道の旧道が駐車場になってます。ここに説明板がありここより城跡に入れます。 あるいは、大正ロマン館から明知陣屋を経由し城跡に登れます。
 
訪城備忘録

旧県道沿い搦め手口より入りました。搦手砦を越え、東の丸、二の丸を越えて本丸に入ります。東の丸に登る手前で左手に進むと出丸の下を巻くように道がありますが、これは堀で土塁コブがあり、畝堀にも見えます。北東側から北側下に明瞭な畝状竪堀が続きます。東の丸から右手方向に二の丸ですが左手方向は出丸に至ります。出丸の虎口には石垣の痕跡が残ります。この城は土塁がほとんど見当たらず防御は切岸と各郭間は堀切で分断されています。主要部(本丸・二の丸・出丸)以外の郭は主要部と連携された縄張りというより空堀で隔てられた独立した砦の集合体という感じです。昔に比べ草刈り伐採が進んで遺構は見やすくなってます。

主郭
歴史

宝治元年(1247年)に加藤景廉の子の遠山景朝(岩村遠山氏の始祖)の子である景重が築城したとされます。その後明知遠山氏の居城として続きましたが、天正三年(1575年)に武田勝頼が織田方であった明知城を攻撃しました。城主の遠山景行は籠城しますが、一族の飯狭間右衛門(遠山友信)が武田方に寝返り、織田信長からの援軍の将の坂井越中守を殺害し明知城は落城しました。その後、景行の子の利景は明知城を奪還しますが天正十一年(1583年)に森氏に攻められ明知城を明け渡し徳川家康に仕えました。慶長五年(1600年)に岩村城主田丸氏の支城であった明知城を利景が攻略しました。これにより利景は慶長八年(1603年)に6530石を領して明知城西麓に陣屋を設け、明知城は廃城とされました。

    南東側の堀とコブ       二の郭から出丸方向
現地説明板より
  
東側堀
北東側の畝状竪堀
北東側の畝状竪堀
北東側の畝状竪堀
北側の畝状竪堀
北側の畝状竪堀
北側の畝状竪堀
主要部の切岸
大堀切を上から
切通り風
     二の郭       二の郭から主郭
大石列    出丸     郭内
出丸から二の郭         貯水池
東南側堀とコブ
東南側堀とコブ
東南側堀       東南側堀とコブ
東南側堀とコブ
東側堀
主郭からの眺望
2004年撮影
畝状竪堀      東南側コブ

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