美濃 米田城



ファイルNo3018

    堀切

@ よねだじょう 
  別名 加茂山城 

A住所:加茂郡川辺町福島
B目標地点:加茂神社・愛宕山
C形式:山城  D比高:170m 
E現況:山林・神社

F遺構等:郭・堀・堀切・碑・説明板
G時代/人物:期/氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓から30分

J撮影・訪問時期:2015年10月・2017年12月

  

道案内 ←登り口

東海環状道の美濃加茂インタで下り、国道41号線バイパス(美濃加茂バイパス)を北上します。約5.6km先、国道41号線旧道との合流、新山川橋北詰の信号を直進し国道418号線に入ります。道なりに約4km先、福島段(県道64号線との交差点)の信号から150m先で左折します。左折場所に加茂神社の石碑と米田城の城址碑があります。 150m先の説明板のある鳥居から石段を登ります。
 
訪城備忘録

麓から加茂神社用の石段を登ります。石段を登りきると尾根上の平坦地を進みます。ここに説明板があり、肥田氏がここを領した前は福島氏が領しており、この福島氏は福島政則の先祖であると書いてあります。ここを抜けてしばらくいくと加茂神社になります。ここは往時は居館であったようです。本殿右手から登り道があります。けっこう急な登りですが道はあります。山頂が近づくと段郭・帯郭かなと思う平坦地もあります。登り切った山頂(愛宕山・加茂山・米田富士)が主郭ですが20m四方の小さな平坦地で愛宕社があります。この社殿の反対側下の三日月上に横堀があります。さらにその下には尾根をきった堀切が残ります。遺構はこのくらいのようです。

麓の説明板
歴史

永正五年(1505年)肥田忠直(玄蕃允軌吉)が築城したとされます。忠直の築城は権現山の福島城で、子の忠政(玄蕃允軌休)が永禄三年(1560年)築城したとも言われるようです。土岐氏に従っていましたが、織田信長の美濃侵攻で織田氏に従うようになったようです。天正十年(1582年)の本能寺の変後に森長可に攻められ落城、加治田城に逃れたとされます。子の忠親は幼少であったため、母方の金森長近に養育され、江戸期は旗本として存続しました。

横堀      堀切
  
麓の城址碑と愛宕山遠望           加茂神社の登り
福島氏の説明板         加茂神社
主郭下
主郭の愛宕社          主郭
主郭からの眺望
横堀          横堀から郭
堀切を上から
城跡遠景       福島氏館

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