東三河/ 武節城



ファイルNo0161

長篠の戦いの後、武田勝頼が失意に一夜を過ごした城

                          主郭背後の空堀  

@ ぶせつじょう 
  別名  地伏城

A住所:豊田市武節町
    旧:東加茂郡(北設楽郡)稲武町武節
 
B目標地点:道の駅いなぶ     
C形式:平山城  D比高:40m 
E現況:山林・神社

F遺構等:空堀・櫓台土塁・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/菅沼氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:2002年3月

  

道案内  

国道153号線を旧:足助町から来ると左に道の駅「いなぶ」があり、過ぎるとトンネルになります。そのトンネル手前で左折し、道なりに山すそを進みます。途中より山へ登る道を進みます。トンネルの上が城跡です。駐車場が主郭、一段上がったところが櫓台、その先に明瞭な空堀があります。道の駅「いなぶ」には説明板があります。旧稲武町は元々東三河の北設楽郡でしたが、東加茂郡を経て、現在は豊田市の一部です。
 
訪城備忘録

城跡は現在城山神社となっており、櫓台跡に神社が建ちます。後方の空堀や郭の配置はよく残っています。

道の駅説明板より
歴史

永正年間に田峯の菅沼定信が田峯城の支城として築きました。元亀二年の武田氏の三河進攻後は武田方の属し、天正三年(1575年)の長篠の戦いとなります。長篠の戦いで大敗した武田勝頼は武節城で一夜を過ごし、梅酢湯を飲んだと言う逸話が残ります。その後、佐久間信盛・奥平親子(貞能・信昌)が武節城を落とし、奥平貞能が入ります。天正十八年(1590年)の家康の関東移封の時、廃城になりました。<現地案内板より>


城址碑と後ろ櫓台土塁                郭跡   

  

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