美濃/ | 苗木城 |
ファイルNo0930 |
江戸期遠山氏の居城
@ なえぎじょう |
道案内 ←城跡に一番近い駐車場 | |||
中央高速道の中津川インタを下り、国道19号を中津川市街方面に進むと300m先で二股になり斜め左の国道257号に入ります。国道は1.5Km先の青木の信号で左折となります。さらに、1.5Km先で中津川道路に入り、木曽川を渡ります。渡り終えてすぐの路地を右折し道なりに行くと600m先に苗木遠山史料館があります。史料館の背後に右手へ登って行きます。5分で最終の足軽屋敷下に至りますが、ここの下にも駐車場はあります。 |
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訪城備忘録 | |||
史料館から登っていくと、まずは足軽屋敷で、ここから谷越えの本丸が撮影ポイントです。(史料館から城跡へ向かう坂道の途中から登った高森神社からも撮影スポットのようです。) さらに進むと風吹門跡に至り、左手に大きな櫓(大矢倉)の石垣があります。大矢倉の反対側は北門になります。風吹門の反対側には駈門(かけもん・くもん)があります。その空間は三の丸になります。駈門は竹門を越え四十八曲がり道を下りて行った麓が大手門で、江戸期の参勤交代はここを通ったそうです。駈門は三の丸より一段低い地になり、三の丸の高さで懸造りの建物が建っていたようです。この建物は役所あったようで城への来訪者を吟味した役所のようで、右手に埋め門もあり、その先に牢屋があります。 風吹門から右手に行くと大門があり、ここを越えて左手の坂が本丸、右手が二の丸になります。本丸へつづらの坂道を登ると、綿蔵門、坂下門、菱櫓門と続き、本丸口門、武具蔵を越え、玄関口門を過ぎると本丸になり、天守台があります。本丸は岩山の頂上で、ここも広いとは言えず江戸期の城としては本丸というか象徴的な場所であったように見えます。天守台は、今は木で骨組みを組んで展望台になってます。ここからみる眺望は木曽川・恵那山が望め、そりゃ気持ちがいいですよ。ここの城の石垣についても岩山に無理やり積み上げられたように大矢倉の石垣にしても、本丸の石垣にしても、他の城跡では見られない形になっています。 それにしてもこの城は狭い岩山の城地によく言えば巧みに、悪く言えば無理やり郭を作り石垣を積み上げた感じの城です。それが、石垣だけの城跡になった今は、なんとも言えない石垣の曲線美のようなものすら感じます。 三の丸から右手に行くと二の丸で建物礎石が奇麗に並んでいて、2016年当時に整備された石垣がいい具合になってました。 この城は、往時は各郭の殿舎は敷地からはみ出した形(懸け造りになっていたようです)で建てられていたようで、想像すると見てみたい気持ちになります。(史料館に苗木城のジオラマと風吹門の門扉が展示してあります。) 城山大橋から城跡を撮影の場合、城側の橋のたもとに車を停められるスペースがあります。そこから歩いて橋の中央まで行ってください。 |
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築城時期ははっきりせず、鎌倉期末の築城説もありますが、天文年間(1532〜1527年)に遠山直廉が築城したともされます。元亀三年(1572年)に直廉が病没すると織田信長の命により飯羽間城の遠山友勝が苗木城へ移りました。さらに、友勝の死後はその子の友忠が阿寺城から入りました。天正十一年(1583年)に金山城の森長可に圧迫され友忠は苗木城を退去し徳川家康を頼りました。城は森氏の支城となった後、森氏が信濃川中島へ転封後は川尻直次が領しました。関が原の合戦時、家康の命を受け遠山友忠の子・友政が苗木城を奪還し、恩賞としてこの地を賜り15000石を領して苗木城を居城とし、遠山氏は明治まで続きました。 |
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2000年訪城 |
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常盤座 中津川市高山 |