美濃 / 飯羽間



ファイルNo1061


                            城址碑側

@ いいはざまじょう 
  別名  飯峡城

A住所:恵那市岩村町飯羽間 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:堀・土塁
G時代/人物: 室町期/遠山氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2005年09月

  

道案内  

中央高速道恵那インタを下り、県道68号線を進みます。国道19号線をガードで越え、5Km先道の駅そばの郷の佐々良木の信号で左折し国道418号線に入ります。6Km先の久保原地区で県道406号線に左折します。1.8Km先でT字になり県道は右折、さらに200m先で再度T字で県道は左折ですが、このT字交差点の右側丘が城跡です。

(または、国道19号線の恵那市正家の信号で国道257号線に入ります。4.5Km先で阿木川大橋を越え、さらに、5Kmほど進んだ下飯羽のバス停(飯羽間の信号)で斜め右の県道406号線に入り、2Km先です。)
 
訪城コメント
主郭

県道のT字交差点から丘を見上げると大きな「飯羽間城」の看板が目に入ります。この看板下麓に城址碑があります。大手道は西側の農道沿いに入り口があります。城址は後世に畑として利用されていたようで明瞭な遺構は残っていない感じです。

飯羽間城址の北側1Kmのところの徳祥寺には岩村城の土岐門が移築されています。また、飯羽間の集落西側には信城があります。
大手道
歴史

飯羽間城は岩村城を本城とした岩村遠山氏の支城群である遠山十八支城のひとつです。現地説明板には鎌倉末期の築城とありましたが、資料では岩村遠山氏の景任の弟の景広または子の友勝が築城あるいは居城としています。友勝は織田信長に属しその命により苗木城に移り、飯羽間城は子の友忠が城主となります。友忠も阿寺城に移ると友忠の子の友信が城主になりました。天正二年(1574年)に武田勝頼の攻撃を受け落城したという記録があるようですが定かでは無いようです。天正三年(1575年)の勝頼による明知城攻めの際に遠山友信が武田方に付いて甲斐に赴いたとあるようです。いずれにしてもこの頃飯羽間城は廃城になったようです。飯羽間遠山氏は友勝=友忠が苗木城主として続き、友忠の子の友政が川尻氏の支城となっていた苗木城を奪還し、江戸期を通じて大名として続きました。


岩村城土岐門移築
徳祥寺

信城住所:恵那市岩村町飯羽間  目標地点:飯羽間集落神明神社西側尾根先端  比高:20m
土塁と連続堀切が残っているようですが藪がきつくて断念です。
城跡下より     信城遠景     県道沿いより

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