美濃 /



ファイルNo0914


                            主郭

@ つるがじょう 
  別名  神篦城 (高野城・土岐城)

A住所:瑞浪市土岐町鶴城  
B目標地点:(信光寺から300m先)
C形式:山城  D比高:50m 
E現況:山林・神社

F遺構等:郭・堀・土塁・井戸・石碑・説明板
G時代/人物: 鎌倉期/土岐氏 
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  中央高速道側道登り道から15分

J撮影・訪問時期:2001年04月

  

道案内 

中央高速道瑞浪インタを下り、陸橋手前で左折し、瑞浪インタ入口の信号で左折し県道352号線に入ります。道なりに5.6Km先の鶴城の信号の先100mで左折、中央高速道のガードをくぐると左折して側道を進みます。坂を登ったところに登城口があります。
 
訪城記録

織豊期に改修されているという感じではしませんで、鎌倉期からの土岐氏の城がそのまま残っているという感じがします。登城口から沢筋の道を登っていくと三の城戸跡から一の城戸跡などの案内板はあるものの遺構らしきものは認められません。二の郭奥で主郭下に大きな井戸跡が残っていて印象的です。主郭は細長い平坦地で土塁などは無く、これも少し拍子抜けした思いがしました。

登り口城址碑
歴史

築城時期・築城者は定かではありませんが、鎌倉時代(建仁年間(1201〜1204年))に土岐光衡が築城した、あるいは、整備したと伝えられます。光衡は一日市場館を居館としこの城を詰城としたと考えられます。以後、土岐氏一族の城として機能したようで、正中の変(1324年)で殺害された土岐頼兼(頼貞の子)の城ともされます。室町初期の建武中興以後には土岐頼貞が美濃守護となって詰城としたようです。戦国期まで土岐氏の城として存続以後、天正二年(1574年)に起きた武田氏との明知城の攻防戦で織田信長は河尻秀隆を入れて改修させたとされます。天正十年(1582年)の織田氏の甲斐侵攻時にはこの城に宿泊したともされます。関が原の戦い時は岩村城の田丸直昌の支城とされますが、妻木城の妻木頼忠らに包囲され開城したとされます。


一の城戸跡                      井戸

  

近くの城・関連の城: 一日市場館 小里城