美濃 / 妻木城



ファイルNo0928


                            主郭(2001年撮影)

@ つまきじょう 
  別名  −−−−−

A住所:土岐市妻木町
B目標地点:崇徳寺
C形式:山城  D比高:190m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・堀・土塁・碑・説明板・移築門
G時代/人物: 戦国期/妻木氏
H満足度:
凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  妻木士屋敷より40分
  林道終点から8分

J撮影・訪問時期:
2001年05月・2018年02月

  

道案内  ←城跡    ←林道終点の登り口

中央高速道の土岐インタを下り、国道21号線から国道19号線に向かいます。大冨の信号で右折し国道19号線に入ります。2.1Km先の泉池ノ上町の信号で左折して県道19号線に入ります。県道は妻木川沿いを南に向かいます。6Km先で妻木小学校横を通過し、さらに1.5Km先で右折し県道388号線に入ります。500mほど左側に妻木城士屋敷跡があります。ここを奥に入って行きますと左手方向に伸びる登り道があります。

または、県道388号線との交差から県道19号をさらに南に進むとゴルフ場の入り口が右側にあり、そこを右折しゴルフ場の方へ入っていき、途中で右手の林道(左への本線坂道はゴルフ場)に入り1.5km先に搦手の登城口があります。 
 
訪城備忘録
主郭にある現地案内板より

中世の戦国の城が戦国末期に改修され石垣の城に変貌する過程の城と言う感じです。主郭周囲のみ石垣で形成され、小粒な主郭ですが、技巧的な感じがします。主郭から一段下がった郭や出丸は中世の城の趣が残り、堀切、土塁が残ります。

主郭石垣(2001年撮影)
歴史

築城時期ははっきりしないようです。暦応二年(1339年)に土岐頼貞の孫の土岐明智彦九郎頼重が築城し、土岐明智氏が領したとされます。戦国期には妻木氏が土岐明智氏に代わり妻木付近を領するようになったとされます。 (妻木氏は土岐光定が妻木に住し9代の弘定が妻木氏を名乗ったといわれます)  妻木広忠は明智光秀の叔父であり、本能寺の変には妻木勢が多数明智軍にいたようです。広忠は本能寺の変後自害しました。 (この時の妻木氏一族の墓が近江西教寺の明智光秀の墓近くにあります。) その後は、妻木貞徳が妻木城主で、(広忠と貞徳には血縁関係はないらしいです) 関が原の合戦の際、貞徳の子の頼忠は徳川家康に妻木の守備を命じられ、岩村城の田丸直昌に抗戦しました。その戦功により、慶長六年(1601年)に頼忠は家康より改めて妻木の所領を認められ、7500石で交代寄合となりました。山上の妻木城は、元和期(1623年頃)には、頼利、頼次と継ぎますが、万治元年(1658年)に頼次が跡継ぎがないまま没し、妻木氏嫡流は断絶しました。 (ただ、頼次の弟の幸弘に500石を分与されており、本家断絶後も妻木に住したようです。)

 堀切を上から      二の郭   
搦め手道にある説明板より
三の郭よりの眺望
     
伝太鼓櫓下堀切とそこに残る矢穴の残る巨石
もうひとつの堀切     堀切から太鼓櫓
伝太鼓櫓下堀切
土塁と井戸
太鼓郭と蔵郭の間
太鼓櫓に残る石積み      太鼓櫓と土塁
三の郭下
三の郭からの眺望
   三の郭       二の郭の虎口
二の郭から主郭石垣
主郭石垣
主郭             主郭の旗立岩
主郭南下巨石
主郭東下      南郭
南郭堀切
南郭堀切
移築門
2001年訪城
太鼓櫓と蔵郭の間の空堀            主郭石垣
出丸             二の郭虎口

近くの城・関連の城:妻木城士屋敷 明知城