近江 / 上平寺館



ファイルNo0779

京極氏の本拠の一つ、日本初の城下町を形成、大名庭園遺構を残す

           庭園跡

@ じょうへいじやかた 
  別名  −−−−−

A住所:米原市上平寺
     旧:坂田郡伊吹町上平寺
B目標地点:伊吹神社

C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:神社・公園・山林

F遺構等:土塁・堀・石垣・庭園・碑・説明板
G時代/人物: 室町期/(佐々木)京極氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  集落より10分

J撮影・訪問時期:
2003年10月・2014年11月

  

道案内 

名神高速道関が原インタを下り、国道365号線を進み藤川の信号で斜め右へ、県道531号線に入り伊吹山ロープウェイへ向かいます。藤川の信号より1.5Km先で右折し、今は 小さい 集落となっている上平寺地区へ入ります。集落の一番奥、伊吹神社境内一帯が居館跡です。県道の集落入り口に ある小さな城跡看板があるので見落とさないようにしてください。
 
訪城備忘録

京極氏本拠地上平寺城の麓の居館跡です。日本初の城下町の形態とも言われ、館跡までの大手道両サイドには重臣の邸跡などが並びます。館の奥まった所に 室町期の庭園跡が残ります。武家の庭園遺構が残っているのは全国的にもそう多くなく、他の城跡の庭園遺構としては、滋賀県高島/朽木氏福井県一乗谷/朝倉氏岐阜県飛騨/江馬氏岐阜県郡上/東氏・長野県中野/高梨氏・三重県美杉/畠山氏・山口県山口/大内氏・愛媛県松山湯築城/河野氏・徳島県勝端城/十河氏などがあります。ここの庭園跡では10月は地元イベントで幻想的なライトアップが見られます。


ライトアップ
歴史

永正年間(1504〜1520年)頃、京極高清によって築城されました。大永三年(1523年)に京極氏の内紛で京極氏の守護職の機能が停止して後は、浅井氏が上平寺城を改修し監視の城とし、この居館も使用されていたものと考えられます。元亀元年(1570年)<姉川の合戦の年>に廃城になったものです。


【京極氏】
 佐々木氏は宇多源氏です。京極氏は佐々木信綱の四男氏信を初代とします。(長男重綱は大原氏館を拠点に大原に、二男高信は清水山城を拠点とし高島氏に,三男泰信は観音寺城を拠点とし六角氏に(六角氏は当初小脇館、ついで金剛寺城を居譲とした後に観音寺城に移ったとされます。),四男氏信は柏原城(のち高清の時には上平寺城)を拠点とし京極氏となります。) 京極氏は六角氏の観音寺城のように長く居城とされた城がありません。氏信は柏原城を居城としましたが、その後太平寺城が居城になります。四代にバサラ大名で有名な京極(佐々木)高氏(道誉)となりますが、この時の居館は勝楽寺城(正確には勝楽寺自身が居館跡)です。その後、高秀ー高詮ー高教ー持清(ー政経)ー高清と当主は続き、高清の時に上平寺城が居城となります。高清の子の高広と高吉(高慶)の間で後継者争いが起こり、京極家は衰退し浅井氏が戦国大名となります。高吉の系統が存続し、高吉の後は子の嫡子高次の系統が大津城主から若狭小浜城主となり、忠高の松江城主を経て、高和の時代に丸亀藩に移封となりここで継承されます。次男の高知の系統は、高三が丹後田辺城主となり但馬豊岡藩に転じ継承されます。

庭園跡        居館跡
  
追手道         堀跡?
現地案内板より
庭園跡

近くの城・関連の城:上平寺城 弥高寺 柏原城