近江/ | 観音寺城 |
ファイルNo0771 |
佐々木六角氏の本城、戦国五大山城のひとつ。 広大な城域に無数の郭が残る。
@ かんのんじじょう |
道案内 ←東の駐車場の位置(但し林道は有料で600円で、PM4:30までの通行時間です。) ←南の駐車場(但し林道は有料で600円で、PM4:30までの通行時間です。) ←追手道の徒歩登り口 |
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東の駐車場から:国道8号線を近江八幡市から来ると、五個荘南の信号で左折し800m先で道が右にカーブし、その先の信号で左折して「きぬがさトンネル」に向かいます。800m先で小さな川がありますが、この川沿いに沿って左折し林道に入ります(この地点はきぬがさトンネルの手前400mで右手に繖公園があります)。この林道を尾根まで登ります。途中料金所があり600円<2023年現在>です。また、16:30閉門ですので気をつけてください。観音正寺の駐車場から淡路丸そばを越え、その先の観音正寺(観音正寺の境内を通過するだけで500円<2023年現在>の入山料が必要です。)を越えて、観音寺城本丸に至ります。観音正寺を経由しないで東西を行き来するのは淡路丸からきぬがさ山の三角点へ向かう尾根を歩き、三角点から下って観音寺城の本丸に至る事が出来ます。尾根上の遺構が見られるのでそれはそれでいいのですが、距離が長く、高低差とアップダウンがきついです。 南の駐車場から:国道8号線の西老蘇の信号で左折し、約400m先の信号を右折します。約1.2km先を左折し、そのまま道なりに林道を進むと(標識有)観音正寺南下の駐車場まで続いています。<ここも有料です。> 徒歩@:□安土町石寺の石寺楽市楽座会館そばより光善寺そばを通り日吉神社横を通って観音正寺まで石段が続いています。あるいは、□安土城考古博物館背後からはきぬがさ山三角点を経由です。さらに、□桑実寺を経由して登る道は本丸に続いています。<桑実寺は有料> 徒歩A:☆石寺から日吉神社横を左折し天満宮(旧 御館跡)まで行き、その背後から登るのが仮称:追手道です。そのまま大石垣に続いています。 ここを登り、大石垣から池田丸〜平井丸〜本丸と廻り、本丸から観音正寺までの道の途中に山頂三角点への道がありますのでこれを登り、山頂尾根遺構を見ながら下りて来て、布施丸を見て観音正寺前まで来て、石段を下りて日吉神社まで下りるコースでしたら林道代、観音正寺の入山料はかかりませんが、石寺の楽市楽座の駐車場は有料です。 |
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訪城備忘録 | |||
とても一日では見られない広域な城域を持つ城です。見所としては、車で行った場合、観音正寺の東側尾根の駐車場から進むと、右手にまず淡路丸があります。淡路丸の主要部は70m*40mくらいあるでしょうか? 周囲を1.5m程度の高さの石垣が巡り、まさに一つの城郭という感じです。ここは布施氏の居館跡になりますが、観音寺城の東の出城的感じです。淡路丸下には目賀田屋敷があり井戸が残りますが、藪になってます。その先の斜面にも郭群が続きますが、藪がきつくて入りようがないです。 その淡路丸の北西側(観音正寺へ行く道から右手20mほど上)に伊庭屋敷跡・佐佐木城址碑が建っている場所があります。佐佐木城址碑の東側尾根下に大見付の高石垣があります。伊庭屋敷も石垣が巡ります。高石垣は観音正寺への道沿いの権現見付の石垣の上にも見られます。 観音正寺を越えてしばらく山道を進むと突然主郭(本丸)への立派な石段が現れます。今は主郭(本丸)より30mほどしか整備されていませんが、その下、竹薮の中に石段が続いています。主郭(本丸)は北側に高い石垣があり、食い違い虎口になっています。その他の周囲は1.5m程度の石垣が巡ります。しかしながら、淡路丸・池田丸・平井丸に比べこじんまりしているという感じです。主郭北側下には石室に囲まれた井戸(大夫殿井戸)が現在も水をたたえています。ここから桑実寺に下りられます。 主郭から西へ下りていくと平井屋敷(丸)です、ここは、屋敷内の奥(東側)の石段・石積みと西側の埋め門<現在は崩壊>及び虎口の大きな石垣が印象的です。平井屋敷(丸)の虎口石垣は観音寺城のなかでは特に大型の石を使っています。北側外側から石垣を見ると迫力があります。平井屋敷(丸)の西は落合屋敷、さらにその西は池田屋敷(丸)です。池田屋敷(丸)も淡路丸に劣らない広さがあり石垣が巡ります。池田屋敷(丸)の西側下には大石垣があります。大石垣は木々が現在は伐採され麓から遠望できますし、眺望もすばらしいです。この大石垣の東側下の郭は木村邸です。ここの石垣も大石を使い見応えあります。 観音正寺の西側斜面下の竹薮の中に後藤屋敷(旧状)や進藤屋敷があります。最近有志の方がこの周辺を整備されていて、竹藪が伐採されてます。観音正寺から主郭までの間に右手へ三角点に登る道があります。ここを登ると楢崎邸の大規模な石垣を経て澤田邸のところで観音寺城の最高点に達します。北に尾根筋を進むと「きぬがさ山」頂上です。ここからの眺望は大変よいです。ここは安土城歴史博物館から登ってくると到達するところです。澤田邸から東へ尾根を進むと三国の間と呼ばれる郭の石垣があり、この北側下にくの字状に規模の大きな石垣が壁のようにそそり立っています。この尾根を東に進むとこの尾根唯一の堀切と思われる箇所があります。その先に「佐佐木城址碑」のところに達します。城址碑から尾根を下ると大見付の石垣を経て淡路丸そばにでます。 さらに、麓の石寺には御館跡があります。今は小さな神社境内ですが、巨石で積まれた石垣がすばらしいです。普通に城は主郭(本丸)を中心として何らかの意図の元、縄張りされているものですが、この城は山上の無数の郭跡(邸跡)が防御第一で配置されたという感覚の無い城です。山上の屋敷群あるいは山上の都市という感じです。山岳寺院の坊跡を活用しているとは言えるのでしょうね。 淡路丸の位置 佐佐木城址碑の位置 池田丸の位置
各郭追加写真のページ ※ =訪城記録= 2010年01月訪城 発掘調査の現地説明会があり、観音正寺下の進藤屋敷・後藤屋敷周囲の竹薮が伐採され見学ができました。ここの石垣もなかなかの規模です。 2016年02月訪城 天満宮から大手道を登りました。2007年の時は藪の道でしたが、整備され、木の階段など作られ、木々が間伐・伐採されています。大石垣、天満宮の石垣も木々が伐採され見やすくなってました。逆に淡路丸の郭内が藪化していて、井戸周辺が高い草に覆われて危ない感じになってます。 2017年04月訪城 再び大手道から登りました。今回は関東のグループの専門家の方も交えた合同オフでした。いつもワーキャー言ってるだけの城巡りですが、この遺構をそう見るかと感心しきりでありました。^^V 池田丸の下、大石垣の西側、観音正寺の東側、奥の院の登り口からが木々が伐採され、さらに見やすくなってました。 2020年05月訪城 大手麓から登りました。遺構整備の現状は2017年頃とはあまり変わっていませんが、池田丸下大石垣付近のみは麓からも綺麗に見えるように伐採整備が進んでいます。 2021年03月訪城 4回連続で御館跡から大手道を登りました。池田丸〜平井丸・本丸まで行って、観音正寺手前から尾根(三角点方面)へ登り、尾根筋遺構を見て、佐佐木城址碑、伊庭屋敷と廻り、淡路丸までの過去三回とほぼ同じコースです。ゆっくり廻って5時間という工程ですね。淡路丸の郭内は相変わらず藪ですが、逆に外側の石垣は東の駐車場からの参道から見上げると見えるくらいに木々が伐採されてます。 2022年11月訪城 夕方、御館跡から大手道を登り、夕方の光景を写真に収めました。 2023年04月訪城 2022年11月同様に夕方登ってみました。大石垣の崩壊が昨年11月より進んでいるとの情報で、見に行きました。それと有志の方々が行われている後藤屋敷、進藤屋敷周辺の整備を見に行きました。2010年の発掘調査時より大規模に伐採され、石垣や虎口が大変見やすくなってました。 2023年12月訪城 斜面遺構の整備が進んでいるとの事で再度見に行きました。 補則 沙々貴神社は佐々木氏の氏守 観音寺城の麓には桑実寺 教林坊があります |
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築城の時期は定かではありませんが、宇多源氏佐々木六角氏頼の時期(南北朝期)の建武二年(1335年)には存在したとされます。本格的な観音寺城が築かれたのは応仁二年(1468年)の頃、六角高頼の時とされます。六角義賢は弘治二年(1556年)に石垣を使用した大改修をしました。永禄十一年(1568年)に織田信長は足利義昭を将軍とすべく上洛を目指し近江に侵攻します。六角義賢・義弼父子は観音寺城に籠って抵抗しますが、前哨戦で和田山城・箕作城が落城すると、義賢・義弼父子は観音寺城を捨て甲賀の三雲城へ逃れました。その後も六角義賢(承禎)は信長に反抗しますが、観音寺城への復帰はならず城は廃城となりました。 |
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観音寺城・夕刻の風景 |
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桑実寺 2012/12 |
教林坊 2019/12 |
沙沙貴神社 2014/05 |
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