近江 / 観音寺城



 ファイルNo771

佐々木六角氏の本城、戦国五大山城のひとつ。 広大な城域に無数の郭が残る。

                平井屋敷虎口石垣  

@ かんのんじじょう 
  別名  −−−−−

A住所:近江八幡市安土町桑実寺・石寺
    (旧:蒲生郡安土町)
    
〜東近江市(五個荘町)j川並町
B目標地点:観音正寺
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林・寺

F遺構等:郭・土塁・竪堀・石垣・石碑・説明板
G時代/人物: 室町期〜/(佐々木)六角氏
H満足度:
凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  観音正寺下駐車場15分・麓よりり40分

J撮影・訪問時期:1994年09月・2001年08月
  2006年09月・2007年12月・2010年01月 
  2016年02月 2017年04月

  

道案内
 東の駐車場の位置(但し林道は有料で600円で、PM4:30までの通行時間です。)
 
←南の駐車場(但し林道は有料で600円で、PM4:30までの通行時間です。)

国道8号線を近江八幡市から来ると、五個荘南の信号で左折し800m先で道が右にカーブし、その先で左折して「きぬがさトンネル」に向かいます。800m先で小さな川がありますが、この川沿いに沿って左折し林道に入ります(この地点はきぬがさトンネルの手前400mで右手に繖公園があります。)。この林道を尾根まで登ります。途中料金所があり600円<2015年現在>です。また、16:30閉門ですので気をつけてください。観音正寺の駐車場から淡路丸そばを越え、その先の観音正寺(観音正寺の境内を通過するだけで500円<2015年現在>の入山料が必要です。)を越えて、観音寺城本丸に至ります。観音正寺を経由しないで東西を行き来するのは淡路丸からきぬがさ山の三角点へ向かう尾根を歩き、三角点から下って観音寺城の本丸に至る事が出来ます。尾根上の遺構が見られるのでそれはそれでいいのですが、距離が長く、高低差とアップダウンがきついです。 あるいは、安土町石寺の石寺楽市楽座会館そばより光善寺そばを通り日吉神社横を通って観音正寺まで石段が続いています。さらに、安土城桑実寺の瓢箪山古墳そば林道<ここも有料です>があり、観音正寺下の駐車場まで続いています。安土城考古博物館背後からも登れます。 さらに、日吉神社横から左折し天満宮(旧 御館跡)まで行き、その背後から登るのが大手道です。 これら以外に、桑実寺を経由して登る道から登る道があります。
 
訪城備忘録

とても一日では見られない広域な城域を持つ城です。見所としては、車で行った場合、観音正寺の東側尾根の駐車場から進むと、右手にまず淡路丸があります。淡路丸の主要部は70m*40mくらいあるでしょうか? 周囲を1.5m程度の高さの石垣が巡り、まさに一つの城郭という感じです。ここは布施氏の居館跡になりますが、観音寺城の東の出城的感じです。その淡路丸の北西側(観音正寺へ行く道から右手20mほど上)に伊庭屋敷跡・佐佐木城址碑が建っている場所があります。佐佐木城址碑の東側尾根下に大見付の高い石垣があります。伊庭屋敷も石垣が巡ります。観音正寺への道沿いの権現見付の石垣の上には大石垣があります。観音正寺を越えてしばらく山道を進むと突然主郭(本丸)への立派な石段が現れます。今は主郭(本丸)より30mほどしか整備されていませんが、その下、竹薮の中に石段が続いています。主郭(本丸)は北側に高い石垣があり、食い違い虎口になっています。その他の周囲は1.5m程度の石垣が巡ります。しかしながら、淡路丸・池田丸・平井丸に比べこじんまりしているという感じです。主郭北側下には石室に囲まれた井戸(大夫殿井戸)が現在も水をたたえています。主郭から西へ降りていくと平井屋敷(丸)です、ここは、屋敷内の奥(東側)の石段・石積みと西側の埋め門及び虎口の大きな石垣が印象的です。平井屋敷(丸)の虎口石垣は観音寺城のなかでは特に大型の石を使っています。北側外側から石垣を見ると迫力があります。平井屋敷(丸)の西は落合屋敷、さらにその西は池田屋敷(丸)です。池田屋敷(丸)も淡路丸に劣らない広さがあり石垣が巡ります。池田屋敷(丸)の西側下には大石垣と大堀切があります。ここの大石垣は木々が無ければ麓から遠望できるのではないでしょうか。この大石垣の東側下の郭は木村邸です。ここの石垣も大石を使い見応えあります。観音正寺の西側斜面下の竹薮の中に後藤屋敷(旧状)がありますが、今は石垣も崩壊し見る影も無い感じです。観音正寺から主郭までの間に右手へ三角点に登る道があります。ここを登ると楢崎邸の石垣を経て澤田邸のところで観音寺城の最高点に達します。北に尾根筋を進むと「きぬがさ山」頂上です。ここからの眺望は大変よいです。ここは安土城歴史博物館から登ってくると到達するところのはずです。澤田邸から東へ尾根を進むと三国の間と呼ばれる郭の石垣があり、この北側下にくの字状に規模の大きな石垣が壁のようにそそり立っています。この尾根を東に進むと佐佐木城址碑のところに達します。城址碑から尾根を下ると大見付の石垣を経て淡路丸そばに戻ります。さらに、麓の石寺には御館跡がありますが、今は小さな神社境内です。以上が 私が何回か訪れて見学した遺構です。 普通に城は主郭(本丸)を中心として何らかの意図の下縄張りされているものですが、この城は山上の無数の郭跡(邸跡)が防御第一で配置されたという感覚の無い城です。山上の屋敷群あるいは山上の都市という感じです。

  淡路丸の位置   佐佐木城址の位置   池田丸の位置  

各郭追加写真のページ

2010年01月訪城
発掘調査の現地説明会があり、合わせて観音正寺下の進藤屋敷・後藤屋敷周囲の竹薮が伐採され、合わせて見学ができました。ここの石垣もなかなかの規模です。

2016年02月訪城
天満宮から大手道を登りました。2007年の時は藪の道でしたが、最近整備された感じで、木の階段など作られ、木々が間伐・伐採されていました。大石垣、天満宮の石垣も木々が伐採され見やすくなってました。逆に淡路丸の郭内が藪化していて、井戸周辺が高い草に覆われて危ない感じになってます。

2017年04月訪城
再び大手道から登りました。今回は関東のグループに専門家の方も交えた合同オフでした。いつもワーキャー言ってるだけの城巡りですが、この遺構をそう見るかと感心しきりでありました。^^V 池田丸の下、大石垣の西側、観音正寺の東側、奥の院の登り口からが木々が伐採され、さらに見やすくなってました。

本丸石垣
歴史

築城の時期は定かではありませんが、宇多源氏佐々木六角氏頼の時期(南北朝期)の建武二年(1335年)には存在したとされます。本格的な観音寺城が築かれたのは応仁二年(1468年)の頃、六角高頼の時とされます。六角義賢は弘治二年(1556年)に石垣を使用した大改修をしました。永禄十一年(1568年)に織田信長は足利義昭を将軍とすべく上洛を目指し近江に侵攻します。六角義賢・義弼父子は観音寺城に籠って抵抗しますが、前哨戦で和田山城・箕作城が落城すると、義賢・義弼父子は観音寺城を捨て甲賀の三雲城へ逃れました。その後も六角義賢(承禎)は信長に反抗しますが、観音寺城への復帰はならず城は廃城となりました。

 各郭追加写真のページへ
御館石垣
御館石垣
木村邸石垣
大石垣
大石垣
大石垣(西側)
大石垣(西側)
  大手道から観音正寺を見る
大手道から眺望
観音正寺の梅
平井丸虎口
本丸食い違い虎口
各郭追加写真のページへ

近くの城・関連の城: 箕作城 和田山城 佐生城