近江 / 三雲城



ファイルNo0702

六角氏の隠れ城

              虎口石垣   

@ みくもじょう 
  別名  吉永城

A住所:湖南市吉永  
    旧:甲賀郡甲西町
B目標地点:青少年自然道場

C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・石垣・竪堀・堀切・井戸
G時代/人物: 戦国期/三雲氏 
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
    青少年自然道場駐車場からは30分

    林道を上がり城址碑のところから10分
J撮影・訪問時期:2001年06月・2007年05月
            2016年03月

  
城跡入口の碑と説明板

【道案内】

名神高速道栗東インタから国道1号線を甲賀・鈴鹿方面に向かいます。インタより約6Km先の石部口の信号、さらに4.5Km先の吉永の信号で右折し、250mでJR草津線を越え、次の十字路を右折し250m先で左折(旧東海道でトンネルのそばより)し、三雲城・青少年自然(スポーツ)道場の標識に従い住宅地内を進みます。(西往寺横を過ぎ、住宅団地を左、左、右、L字、左とクランク状に進みます。) 駐車場から山上まで徒歩で20分程度で、林道で城址碑前まで行けます。 



【訪城備忘録】

林道の城址碑のところより山中に入ります。すぐにY字に道が分かれますが、とりあえず左を登ります。左手のいたるところに石垣が見受けられますが、後世の土止めの石垣のように見えます。さらに細い登山道を登り続けますと、右手が大きな堀切、左手に石が散乱している感じのところに出ます。尾根は削平は不完全ですが郭とも考えられます。山頂側を見上げると、切岸が8mほどあり、虎口の外側の斜面上部にあきらかに人口の細工(矢穴)が見える大きな石での石垣が見えます。そちらに向かって登ると大きな石が積み上げられた石垣が残る桝形虎口に至ります。その先、右手の郭はこの城で広く、西側に大きな土塁が横たわり、実質的な主郭と思われます。大きな石積みの深い井戸が残ります。さらに山頂に登りますが、山頂は細いL字状で、下の広い郭に向いて段郭があります。西側下にわりと規模の大きな石垣が残り、反対側にも石垣の痕跡と大きな竪堀と感じる地形となります。山頂の先はいったん堀切の下り、その先に低い土塁の残る小さな郭があります。これは見張り郭のようです。前回訪城の際はなんかわからない城という感じでしたが、今回は納得です。 なお、城跡から北への尾根先端に八丈岩という奇岩があり、この岩は麓からも望めます。八丈岩には六角氏の刻紋があります。(どうも落書きのようです^^;) 昔と八丈岩の形が変わった気がするんやけど^^; 木々の立ち方かな?


【歴史】

築城年代は定かではないが、応仁の乱の頃以後に三雲氏が築城したと伝えられます。当城は、観音寺城の避難の城と思える城で、六角氏は、観音寺城が危なくなると、この城に亡命し再起の戦いを挑んでいます。永禄十一年(1568年)に織田信長の侵攻で観音寺城が落城後も、六角義賢・義弼父子はこの城に逃れ再起を図っています。元亀元年(1570年)に佐久間信盛に攻められ落城し廃城となりました。三雲成持は、六角氏滅亡後、織田信雄・蒲生氏郷に仕え、江戸時代には1,000石の旗本として続きました。 城の石垣は天正十三年(1585年)に中村一氏が水口岡山城の築城の際に使用されたとの事です。

  
井戸
  
山頂下の郭
2001年当時
    
  
現地説明板より
桝形虎口石垣                    虎口外側斜面の石垣
山頂先の郭と土塁                山頂郭後方の堀切
 山頂郭                      山頂郭西側下の石垣
段郭西側の規模が大きな石垣
山頂南側の竪堀地形               山頂の下の大きな郭と土塁
山頂の下の郭と土塁                    八丈岩 
虎口外側の石垣
上の郭を下から見上げる
西側斜面竪堀群
桝形虎口石垣
桝形虎口(上の郭から)
八丈岩 ○が刻紋
刻紋拡大

近くの城・関連の城: 観音寺城

八丈岩からの眺望             城跡遠望