近江/ 和田山城



ファイルNo0715

主郭内食い違い虎口?

@ わだやまじょう 
  別名

A住所:東近江市五個荘和田〜神郷町
    旧:神崎郡五個荘町

B目標地点:和田集落の一番奥の公民館
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・竪堀?・碑
G時代/人物: 戦国期/六角氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  和田神社より10分


J撮影・訪問時期:
2004年09月・2021年10月

  

道案内  

近江八幡市内より国道8号線で向かい、東近江市五箇荘に入ります。五個荘南の信号より約2Km先の築瀬の信号で左折し県道52号線に入ります。(築瀬の信号の100m先は愛知川です。)築瀬の信号から1Km先を右折します。(○○不織布という会社が目印です。) 右折し進み、突き当たりを左折し、すぐまた右折し、神社手前で右折しますと左手に地区の公民館集会所があり、ここより登ります。
 
訪城備忘録

中腹に和田神社がありますが、拝殿、本殿のあるところでは無く、さらに上、拝殿から右手方向、木の階段を登った奥宮に城址碑があります。城址碑と言っても滋賀県文化財の石柱に無理やり書き込んだものですが・・・^^;。城址碑の右手より山道をさらに登ります。山道が90°左に曲がったところの右手一帯が城跡です。現在は山道に案内もありました。山頂部は古墳を利用した約8m四方で約3mの高さの土壇上になった櫓台があり、南西部には高さ0.5m程度の高さの土塁が巡る一辺20m程度の主郭があります。主郭内には低い土塁で形成された食い違い虎口があります。北側から東斜面は緩斜面になっていて畝状になってますが、遺構としては一条の竪堀のみのようです。

城址碑
歴史

観音寺城の支城です。六角義弼が築城して田中治部大輔が守りました。永禄十一年(1568年)の織田信長の侵攻で箕作城が攻城で落城したのを見て、城兵は逃亡、自落しました。

主郭土塁      櫓台の切岸
登り道・この右手が城跡
拝殿  和田神社  奥宮
  
和田山山頂と城跡表示      山頂から主郭土塁を見る
櫓台(和田山山頂)の切岸
中央窪地 右手土塁
右手から中央奥土塁 手前右側窪地(食い違い虎口の入口)
西側土塁
主郭内と西側土塁
北斜面    櫓台切岸
竪堀?

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