近江 佐生城



ファイルNo0718

六角氏重臣後藤氏の城

                            

@ さそうじょう 
  別名  佐野山城・佐生日吉城
A住所:東近江市五個荘日吉町〜佐野町
   旧:神崎郡五個荘町下日吉
      〜神崎郡能登川町佐生

B目標地点:北向十一面観音(岩屋観音)
C形式:山城  D比高:90m 
E現況:公園・宅地

F遺構等:郭・土塁・石垣・碑
G時代/人物: 室町期/後藤氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  観音の中腹駐車場より10分

J撮影・訪問時期:2001年06月・2008年12月
         2017年06月・09月・2019年03月

  

道案内 ←登り口(駐車場)  ←城跡

県道2号線(朝鮮人街道)から能登川高校の裏手に廻り山を登ります。北向十一面観音への直下の駐車場より尾根沿いに歩ける細い道があります。<佐生日吉城370mの標識あり> 昔はブッシュと蜘蛛の巣に悩まされる箇所がありましたが、道も草刈してあります。尾根をややアップダウンしながら進み、10分<370m先>ほどで突然という感じて城跡の高い石垣が現れます。
 
訪城備忘録

城は基本的には単郭の城です。但し、石垣の城で、主郭の南側に高さ3m程度で30mほどと西側に2カ所に10mほど、及び、東側に虎口の大石の石垣が残ります。南西隅は算木積みもしっかりとした石垣です。主郭には後藤氏の御子孫が建てられた城址碑があります。城址碑は南側山麓の日吉神社の横(旧五箇荘町側)にもあり、「佐野山城址碑」と刻まれています。何と言っても、突然現れる石垣は嬉しいです。以前に、石馬寺近くの観音寺城東側の地獄越えと呼ばれる鞍部より、佐生城方面へ尾根を歩いたことがありますが(明神山くらいまで)、この間に城の遺構のようなものはありませんでした。

城址碑(2001年撮影)
歴史

観音寺城の支城であり、六角氏の重臣後藤氏が城主の城ですが築城時期は定かではありません。永禄六年(1563年)に後藤堅豊親子が六角義弼に謀殺された事に端を発した観音寺騒動が起こっています。この城とは別に居館として後藤氏館があります。

南西側石垣
東側石垣                主郭
北西側石垣
北西側石垣
  
主郭内(周囲の土塁)                北西側石垣
南西側石垣

近くの城・関連の城:後藤氏館 観音寺城