近江/ 常楽寺城
(木村城)
浄厳院/沙沙貴神社



ファイルNo1764

                      常楽寺港跡と後方安土城・観音寺城  

@ じょうらくじじょう 
  別名 木村城 

A住所:近江八幡市安土町常楽寺
    旧:蒲生郡安土町
B目標地点:常浜水辺公園

C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:畑地・宅地

F遺構等:なし
G時代/人物:戦国期/木村氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公園駐車場から5分
J撮影・訪問時期:2007年09月

  

道案内  

名神高速道竜王インタを下り、国道477号線を北に向かいます。西横関の信号で右折し国道8号線に入ります。600m先日野川を越えた東川の信号で左折し県道326号線に入ります。4Km先の小船木町の信号で右折し県道2号線(朝鮮人街道)に入ります。1.6Km先中村町の信号を越え、そこより約5Km先の常楽寺の信号で右折し、300m先の右手が常浜水辺公園駐車場です。
 
訪城備忘録

城については、発掘調査では堀が検出されたようですが、現状、遺構はないようです。常楽寺は安土城築城以前から港があったようで、常浜の説明板には観音寺城の外港と書いてありました。その後、明治まで水運の拠点のひとつであったようです。集落内には常楽寺港跡の石垣、舟入跡の水路が残り、趣があります。また、この周辺には湧き水が三箇所あり、水がとても綺麗な集落です。梅の川と呼ばれる湧き水は武井夕庵が織田信長にお茶を入れた時に使った水であるとの事ですが、今はみずほらし^^; 北川の湧き水は清流で綺麗です。

さらに、近くに「安土宗論」の浄巌院と近江源氏佐々木氏の氏神(佐々木氏発祥の地)の沙沙貴神社があります。沙沙貴神社には5月中旬に1週間のみ、「なんじゃもんじゃの木」の花が咲きます。
なんじゃもんじゃは正式名を「ヒトツバタゴ」というようで岐阜・愛知・滋賀の一部に自生するようです。なんじゃもんじゃの木の俗名には諸説あるようですが、水戸光圀が将軍から「あれはなんという名の木か?」と問われた際にとっさに「なんじゃもんじゃの木」と言ったとか・・・(笑)

城跡推定付近
歴史

六角氏の家臣木村氏の居館であったようです。木村氏は佐々木氏の一族で、佐々木盛綱の子の俊綱が木村氏の初代とされ、現在の東近江市木村町(旧蒲生郡蒲生町)を発祥とするようです。代々、佐々木氏(六角氏)に従いましたが、木村高重は、永禄十一年(1568年)、六角氏没落後は織田信長に従いました。安土城築城時は奉行の一人であったようで、天正十年(1582年)、本能寺の変で信長が横死した際、高重は安土城二の丸番衆(留守居役)のひとりであり、本能寺の変後に明智勢が安土城に入城の際、討死、あるいは、行方不明になったされます。なお、野洲の木村館には観音寺城が落城した後に一族は移住したようです。

舟入跡
 寺内濱                      北川湧き水
梅ノ川(湧き水)             城跡側の畑・石垣
  
浄厳院
沙々貴神社 2014/05・2021/05

創建時期は定かではないようですが、少名毘古那神(少彦名命)は「スクナビコナ」と呼び、この神を祀ることでこの神社が始まったとされ、少名毘古那神がこの地を「ささき」と名付けたようです。(神話の世界) 平安期には確実にあったようです。宇多源氏・源成頼がこの地に住し孫の佐々木経方が佐々木氏を名乗ったとされ、佐々木氏の発祥の地とされます。佐々木氏の嫡流の家紋は隅立て四つ目ですが、本来、沙沙貴神社も同様の神紋であるものですが、江戸期、天保年間に火災で焼失したものを弘化五年(1848年)、丸亀藩主の京極高朗が再建しました。そのため沙沙貴神社の神紋も平四ツ目になったようです。 佐々木一族は220余りあり、乃木氏もそのひとつで、境内には乃木希典大将の碑があります。

楼門        沙沙貴神社        本殿
沙沙貴神社なんじゃもんじゃの木

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