道案内  |
名神高速道竜王インタを下り、国道477号線を北に向かいます。西横関の信号で右折し国道8号線に入ります。600m先日野川を越えた東川の信号で左折し県道326号線に入ります。4Km先の小船木町の信号で右折し県道2号線(朝鮮人街道)に入ります。1.6Km先中村町の信号を越え、そこより約5Km先の常楽寺の信号で右折し、300m先の右手が常浜水辺公園駐車場です。
|
訪城備忘録 |
城については、発掘調査では堀が検出されたようですが、現状、遺構はないようです。常楽寺は安土城築城以前から港があったようで、常浜の説明板には観音寺城の外港と書いてありました。その後、明治まで水運の拠点のひとつであったようです。集落内には常楽寺港跡の石垣、舟入跡の水路が残り、趣があります。また、この周辺には湧き水が三箇所あり、水がとても綺麗な集落です。梅の川と呼ばれる湧き水は武井夕庵が織田信長にお茶を入れた時に使った水であるとの事ですが、今はみずほらし^^; 北川の湧き水は清流で綺麗です。
さらに、近くに「安土宗論」の浄巌院と近江源氏佐々木氏の氏神(佐々木氏発祥の地)の沙沙貴神社があります。沙沙貴神社には5月中旬に1週間のみ、「なんじゃもんじゃの木」の花が咲きます。
なんじゃもんじゃは正式名を「ヒトツバタゴ」というようで岐阜・愛知・滋賀の一部に自生するようです。なんじゃもんじゃの木の俗名には諸説あるようですが、水戸光圀が将軍から「あれはなんという名の木か?」と問われた際にとっさに「なんじゃもんじゃの木」と言ったとか・・・(笑)
|
城跡推定付近
 |
|
六角氏の家臣木村氏の居館であったようです。木村氏は佐々木氏の一族で、佐々木盛綱の子の俊綱が木村氏の初代とされ、現在の東近江市木村町(旧蒲生郡蒲生町)を発祥とするようです。代々、佐々木氏(六角氏)に従いましたが、木村高重は、永禄十一年(1568年)、六角氏没落後は織田信長に従いました。安土城築城時は奉行の一人であったようで、天正十年(1582年)、本能寺の変で信長が横死した際、高重は安土城二の丸番衆(留守居役)のひとりであり、本能寺の変後に明智勢が安土城に入城の際、討死、あるいは、行方不明になったされます。なお、野洲の木村館には観音寺城が落城した後に一族は移住したようです。
|