近江/ 木村館(北村城)



ファイルNo0685

        堀   

@ きむらやかた 
  別名木村城・北村城

A住所:野洲市北
    旧:野洲郡野洲町

B目標地点:
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:宅地・田畑

F遺構等:土塁・堀・門
G時代/人物: 戦国期?/木村氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分


J撮影・訪問時期:2001年07月・2005年12月
            2018年04月

  
長屋門 2001年

【道案内】 

名神高速道の栗東インタより国道8号線で来ると、野洲市小篠原の信号で左折しJR東海道線の陸橋を越えたところの久野部の信号を右折し、県道2号線(通称 朝鮮人街道)に入り、4Kmほど進んだ「北」の信号の次の信号(近江八幡寄り)、「北村」の信号を左折して北集落に入ります。集落北側に屋敷森が見えますのですぐわかります。集落内には永原御殿の城門が移築してある浄専寺もあります。個人宅ですのでご迷惑にならないようにお願い致します。

 


【訪城備忘録】

2005年、26代目のご当主よりこの城の説明を受けました。木村氏は観音寺城落城後にここに定住したとの事で、昔は北村集落全体に外堀もあったとの事です。城跡には周囲を巡る土塁・水堀も残り、長屋門は400年経っているとの事でした。明智光秀が座ったと伝えられる大石もありました。

2018年、27代目ご当主に邸内に入れていただきました。長屋門は2017年の台風で破損し修復中でした。先代が明智光秀が座った石と言われた大石はどれだったか?でしたが、27代目ご当主曰く、当時、明智光秀は水運を使って石を運んできたものが残っているとの事でした。当家所蔵の古文書には六角氏からの文書もあるそうです。

【歴史】

築城年代は不明です。木村氏は六角氏の重臣で常楽寺城を居城としていました。永禄十一年(1568年)に織田信長が足利義明を奉じて上洛戦を進め、観音寺城は陥落しました。木村氏は六角氏が滅亡後にこの地に定住したとのことです。ここは、それ以前は城郭として機能していたと考えられます。

  
中央が明智石?
  
光秀の大石
長屋門
  

近くの城・関連の城:永原御殿 ※

          

長屋門   2005年    堀