近江 / 永原御殿
+永原城



ファイルNo0686

近江に残る徳川氏御殿で水口城以外ではよく残る

            御殿内土塁

@ ながはらごてん 
  別名 永原城

A住所:野洲市永原 
   旧:野洲郡野洲町
B目標地点:野洲北中の北側

C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:畑地・雑木林

F遺構等:郭・堀・土塁・移築門・移築建物
G時代/人物: 戦国期・江戸期/永原氏・徳川氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  野洲北中学から5分


J撮影・訪問時期:
2001年05月・2018年02月 他

  

道案内  

名神高速栗東インタから国道8号線で来ると野洲市小篠原の信号で左折し300m先でJR東海道線の陸橋を越えると久野部の信号でこれを右折し県道2号線に入ります。2Km先永原の信号を越え次の江部の信号で左折し野洲北中学を越えた次の十字路を左折し200m先の右側茂みが御殿跡です。御殿跡の西側田んぼに石垣が残ります。永原城は現在の野洲北中学校を含んだ範囲とされます。
 
訪城備忘録
城址碑

今までの御殿跡はものすごい竹藪で鳥の住処で異様であり、異臭があってとても入れませんでした。しかし、2018年発掘調査の現地説明会が実施され、多くの竹藪が伐採され中に入ることができました。3年をめどに整備をしていき、国史跡を目指すそうです。城域では御殿本丸の東西北の土塁が見事に残ってます。高さもあり、幅もあり、なかなかの遺構です。敷地内には礎石も確認できます。北側外側で水堀が確認でき、西側の水田の淵に石垣がわずかに確認できます。碑は土安神社の道を挟んで反対側御殿跡寄りの大きな木の下に隠れて立っています。北側の土塁外側には水堀の跡も残ります。二の丸はいまだにひどい竹藪でした。(2018年現在) また、野洲市北の浄専寺には城門が移築されていますが痛みがひどくて保存されているとは言いがたい感じです。さらに、書院が芦浦観音寺に移築されてます。(写真の一部は城友S氏より提供いただきました。)

移築門(浄専寺)2001年当時
歴史

永原城は、佐々木氏の支族永原氏の居城でした。城域は御殿跡一帯から野洲北中学あたりまでとされます。永原御殿は、江戸初期に将軍上洛の宿舎として造られました。御殿は貞享三年(1686年)に幕命により廃城となり、御殿建物は芦浦観音寺に移築されました。(限定公開) 近江には徳川将軍が使った御殿が中山道側に三カ所、東海道側に一ケ所残ります。東海道側は水口城となっており、中山道側は柏原、伊庭、永原の三カ所ですが、柏原は碑がある程度、伊庭は石垣がわずかに残る程度、それに比べ永原は御殿本丸の土塁や水堀の痕跡、石垣などが残ります。徳川三代が上洛の際に使用し、特に家康は7度泊まったようです。

建物礎石
御殿本丸土塁
現地案内板より(当時の縄張り図)
  
土塁
西側虎口(二の丸へ)     西側土塁     
加工された石と地蔵
北側土塁
西側土塁
矢穴のある石
東側土塁
東側土塁と北側土塁
北側土塁(東側から見る)
加工された石     瓦のかけら?
西側石垣
西側石垣      説明板
北側水堀痕跡      御殿遠望
移築門現状       城址碑
移築書院(芦浦観音堂)

近くの城・関連の城: 小堤城山城 市三宅城 上永原城