近江 / 勝楽寺城



ファイルNo0703

麓の勝楽寺に佐々木(京極)道誉の墓がある

               主郭東側の石垣  

@ しょうらくじじょう 
  別名  −−−−−

A住所:犬上郡甲良町正楽寺  
B目標地点:勝楽寺
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・竪堀・説明板
G時代/人物:南北朝期/高筑氏・京極氏 
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  勝楽寺から20分

J撮影・訪問時期:
2001年05月・2013年12月
            2019年03月

  

道案内 

名神高速道彦根インタを下り、国道307号線で多賀方面に進みます。10Km先甲良町金屋の信号で左折し県道227号線に入ります。600m先の名神高速のガードを過ぎすぐに右折し勝楽寺へ向かいます。この右手より登ります。
 
訪城備忘録

勝楽寺の右手より獣除けゲートを越え、急な山道を20分ほど登ります。中腹の経塚、狐塚を経て、尾根に至り、右に行くと上ろう郭で、左手に向かいますと主郭です。主郭下にはけっこう大きな石で構成されている石垣が残ります。郭は、北から見張り郭、主郭、中間郭が2〜3郭あって南端に上臈(じょうろう)落としの郭があり、つまり、南北の尾根上に郭が続いています。明確な堀切は無く、尾根のピーク毎に郭があるという感じです。竪堀は何箇所かあり、畝状竪堀になってる感じの箇所もありますが、藪で見にくいです。土塁もないです。石垣は戦国期に改修されたものと思われます。2001年に訪れた時はけっこう藪状態でしたが、2013年訪城時は雨模様でしたが木々が伐採などされ見学しやすくなっていました。2019年、初めていいコンディションで見学できました。

歴史

高筑(たかつき)豊後守が佐々木(京極)道誉(高氏)(1306〜1373年)の所領を守るため<北朝元号:応安元年>(1368年)に築いたとされます。その後、多賀氏の居城となっていたようですが、戦国期織田信長に攻められ落城しました。麓の勝楽寺は<北朝元号:暦応四年>(1341年)に道誉が建てた寺で、道誉の晩年の居館でもありました。道誉は、ばさら大名として知られています。(「婆娑羅」とは南北朝期の美意識で「遠慮なく振舞いや派手で傍弱無人なこと」をいいます。)  <現地案内板より+資料 >

主郭                             主郭下石垣
主郭下石垣
尾根上
   麓の勝楽寺      佐々木道誉の墓
上ろうの郭からの眺望
城跡遠望
大日池     集落内
  
上ろう郭までの北側尾根     竪堀       
上ろう郭手前      上ろう郭
上ろう郭からの眺望
尾根郭
中間のピークと切岸
尾根郭     西側下段郭
主郭手前ピーク   主郭手前細尾根
主郭東側の石垣
主郭東側石垣
主郭西側の石垣  主郭東側の石垣
主郭西側の石垣
主郭東側の石垣
主郭東側の石垣
主郭東側の石垣
主郭      見張り郭

近くの城・関連の城:柏原城 上平寺城  ※

          

 楢崎館 3541
@ ならさきやかた A住所:犬上郡多賀町楢崎  B目標地点:高源寺 C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:寺
 F遺構等:郭? G時代/人物:鎌倉期/楢崎氏 H満足度: 凸 
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:1分 J撮影・訪問時期:
2019年03月



城跡は高源寺となっており遺構はないようです。但し、寺の背後の中腹に削平地があり、これが楢崎城という事になるようですが、柵などで登れない感じです。高源寺の山門は佐和山城の移築門とされています。馬を通すため門に敷居が無いとの事・・・確かにない(笑) この山門、2000年の頃に一度見に来たけど、ここが城館と言う認識が当時なかったっす。^^;  なお、観音寺城の山頂近くに楢崎氏の屋敷名のある郭が残ってます。

楢崎氏は佐々木氏(六角氏)の一族とされ、鎌倉期から六角氏に従っていたようです。永禄十一年(1568年)、織田信長の上洛の際に六角氏は観音寺城を放棄し甲賀に逃れましたが、楢崎氏も六角氏に従い当地を放棄したようです。

佐和山城の移築門と伝わる山門    本堂前