伊勢/ 北畠氏館



ファイルNo1004

全国的には少ない戦国大名(豪族)の庭園が残る。

                          北畠氏庭園

@ きたばたけしやかた 
  別名 多気御所

A住所:津市美杉町下多気
     旧:一志郡美杉村下多気 

B目標地点:北畠神社  
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:神社 

F遺構等:庭園・碑 
G時代/人物:南北朝以降戦国期/北畠氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  北畠神社駐車場より2分
J撮影・訪問時期:2004年08月・2016年07月
          2020年11月

  

【道案内】 

伊勢自動車道の久居インタを下り、国道165号線を西に進みます。約15km先、近鉄大阪線の大三駅そばの大三の信号で左折し県道663号線に入ります。約2.5km先の川口で右折し県道15号線に入ります。約23km先、名松線比津駅手前で斜め左の県道666号線に入ります。約4km先の比津峠から登りことができます。(これは急ですが最短との事です。) この比津峠から約2kn先の下多気で右折し県道43号線に入り、約1.2km先右手が北畠神社です。横の駐車場より徒歩で食事処の横を越え、標識に従い山頂へ向かいます。麓から約1400mと表記されてます。途中、中腹に北畠氏館詰城があり、これを越えてさらに登ると霧山城です。

または、伊勢自動車道松坂インタを下り、県道59号を南下し三郷橋を渡ると国道166号線の信号でこれを右折し国道166号を進みます。途中、大河内町に大河内城があります。さらに進み赤滝で国道368号線に入り飯南町側から山越えし美杉村に入り、道の駅美杉の先の上多気の信号で右折し県道43号線に入ります。約1.2km先左手が北畠神社です。

さらには、三重県名張市の国道169号線と国道368号線の交差点である蔵持町原出の信号を国道368号線で美杉方面に進みます。約30km先、奈良県御杖村の敷津の信号で左折します、(直進は国道369号線) 左折し国道368号線を道なりに約10km、上多気の信号で左折し県道43号線に入り約1.2km先が北畠神社です。



【訪城備忘録】

館の遺構としては庭園が残ります。全国でも戦国大名(豪族)の庭園が残るところは少なく、越前・朝倉氏一乗谷館、信濃・高梨氏館、飛騨・江馬氏下館、近江・京極氏上平寺館、長門・大内氏館などが残っています。ここは北畠神社の一角に北畠氏庭園跡として残ります。裏手の山頂には詰城と言える霧山城がありますが、その途中の尾根上に館の詰城遺構もあります。

紅葉スポットとしても有名のようで、2020年11月に行きましたが、やや遅れたかも。

【歴史】

康永元年<興国三年>(1342年)に北畠顕能が築いたものです。 北畠氏は後醍醐天皇の南朝方として建武三年<延元元年>(1336年)に北畠親房が南伊勢に下り、田丸城を本拠としました。北朝方足利氏にたびたび攻められ、康永元年<興国三年>(1342年)に北畠顕能(親房の三男)は多気に移ったものです。それ以後北畠氏は顕泰、満雅、教具、政郷、材親、晴具、具教と八代の本城として続きます。具教は大河内城にて織田信長の侵攻に抗しましたが、永禄十二年(1569年)、信長の次男信雄を北畠氏の養子にして和睦しましたが、天正四年(1576年)に信雄の命で具教が暗殺された際 織田勢が多気に大軍で攻め寄せ、廃城になりました。

*:延元・興国は南朝の元号、建武・康永は北朝の元号です。

  
  
城址碑
  
紅葉の庭園
緑の時期の庭園
  

近くの城・関連の城: 霧山城  北畠氏詰城  大河内城