伊勢/ | 霧山城 |
ファイルNo1000 |
北畠氏の本城 シンプルな縄張りの詰め城
@ きりやまじょう |
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【道案内】 伊勢自動車道の久居インタを下り、国道165号線を西に進みます。約15km先、近鉄大阪線の大三駅そばの大三の信号で左折し県道663号線に入ります。約2.5km先の川口で右折し県道15号線に入ります。約23km先、名松線比津駅手前で斜め左の県道666号線に入ります。約4km先の比津峠から登りことができます。(これは急ですが最短との事です。) この比津峠から約2kn先の下多気で右折し県道43号線に入り、約1.2km先右手が北畠神社(北畠氏館)で、横の駐車場より徒歩で食事処の横を越え、標識に従い山頂へ向かいます。麓から約1400mと表記されてます。途中、中腹に北畠氏館詰城があり、これを越えてさらに登って行くと山頂部が城跡です。 または、 伊勢自動車道松坂インタを下り、県道59号を南下し三郷橋を渡ると国道166号線の信号でこれを右折し国道166号を進みます。途中、大河内町に大河内城があります。さらに進み赤滝で国道368号線に入り飯南町側から山越えし美杉村に入り、道の駅美杉の先の上多気の信号で右折し県道43号線に入ります。約1.2km先左手が北畠神社です。 【訪城備忘録】 記念すべき訪城1000城(自分的カウント上)として訪城しました。城跡まではハイキングコースとなっており、登りやすいのですが 比高240m・1400mの山道は暑い時期にはこたえます。 記念の1000城としてはまあ満足です^^ 城跡は山頂手前のピークに鐘撞堂と呼ばれる削平地があり、ここより いったん尾根を下がり山頂に登りきったところが主郭です。主郭の両サイドに矢倉と呼ばれる郭と米蔵と呼ばれる郭を配し、矢倉の外側に堀切、矢倉と主郭の間と主郭下の郭との間にも堀切があります。また、主郭はやや高めの土塁で囲まれておりますが、全体としてはシンプルな詰め城です。 主郭周辺・鐘撞堂の郭とも整備されており、また、周囲の山々が見渡せるため、山頂はとても気持ちのよい場所でした。 2016年07月に再訪しました。12年前と変わらずの整備が整った城跡です。無理やりの公園化もせず、と言っても夏草はちゃんと刈ってあり、すばらしい整備ではないかと思います。 2018年12月再訪 初めて冬に来ました。元々整備されているから見やすいんですが、冬は草木が枯れてより大変見やすいです。しかし、この日、は昼過ぎの登城でしたが、登城道には霜柱が残り滑りやすく、雪もちらつき風が強くてシャッター押す指も悴みました。 【歴史】 北畠氏本城。下多気(しもたげ)の標高約600mの山頂にあり、興国三年(1342年)に北畠顕能が築いたものです。それ以後北畠氏八代の本城として続きます。 三代満雅の時 阿坂城の白米で馬を洗い敵を欺いたというような逸話も残ります。この満雅が津市岩田川の合戦で討死、これより北畠氏の勢力は弱まりました。 天正四年(1576年)、八代具教が三瀬館で暗殺された際 織田勢が多気に大軍で攻め寄せました。この時の城代の北畠政成は城で討死し霧山城は廃城となりました。 (資料より) |
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