伊勢/ 霧山城



ファイルNo1000

北畠氏の本城 シンプルな縄張りの詰め城

            主郭と主郭中央に立つ城址碑

@ きりやまじょう 
  別名 多気城・多気御所

A住所:津市美杉町下多気
     旧:一志郡美杉村下多気 

B目標地点:北畠神社 
C形式:山城  D比高:240m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・堀切・土塁・石碑・説明板 
G時代/人物:南北朝以降戦国期/北畠氏
H満足度: 凸凸+☆ 国史跡
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  45分

J撮影・訪問時期:2004年08月・2016年07月
            2018年12月

  
矢倉郭

【道案内】 

伊勢自動車道の久居インタを下り、国道165号線を西に進みます。約15km先、近鉄大阪線の大三駅そばの大三の信号で左折し県道663号線に入ります。約2.5km先の川口で右折し県道15号線に入ります。約23km先、名松線比津駅手前で斜め左の県道666号線に入ります。約4km先の比津峠から登りことができます。(これは急ですが最短との事です。) この比津峠から約2kn先の下多気で右折し県道43号線に入り、約1.2km先右手が北畠神社(北畠氏館)で、横の駐車場より徒歩で食事処の横を越え、標識に従い山頂へ向かいます。麓から約1400mと表記されてます。途中、中腹に北畠氏館詰城があり、これを越えてさらに登って行くと山頂部が城跡です。
または、
伊勢自動車道松坂インタを下り、県道59号を南下し三郷橋を渡ると国道166号線の信号でこれを右折し国道166号を進みます。途中、大河内町に大河内城があります。さらに進み赤滝で国道368号線に入り飯南町側から山越えし美杉村に入り、道の駅美杉の先の上多気の信号で右折し県道43号線に入ります。約1.2km先左手が北畠神社です。



【訪城備忘録】

記念すべき訪城1000城(自分的カウント上)として訪城しました。城跡まではハイキングコースとなっており、登りやすいのですが 比高240m・1400mの山道は暑い時期にはこたえます。 記念の1000城としてはまあ満足です^^
城跡は山頂手前のピークに鐘撞堂と呼ばれる削平地があり、ここより いったん尾根を下がり山頂に登りきったところが主郭です。主郭の両サイドに矢倉と呼ばれる郭と米蔵と呼ばれる郭を配し、矢倉の外側に堀切、矢倉と主郭の間と主郭下の郭との間にも堀切があります。また、主郭はやや高めの土塁で囲まれておりますが、全体としてはシンプルな詰め城です。 主郭周辺・鐘撞堂の郭とも整備されており、また、周囲の山々が見渡せるため、山頂はとても気持ちのよい場所でした。

2016年07月に再訪しました。12年前と変わらずの整備が整った城跡です。無理やりの公園化もせず、と言っても夏草はちゃんと刈ってあり、すばらしい整備ではないかと思います。
2018年12月再訪
初めて冬に来ました。元々整備されているから見やすいんですが、冬は草木が枯れてより大変見やすいです。しかし、この日、は昼過ぎの登城でしたが、登城道には霜柱が残り滑りやすく、雪もちらつき風が強くてシャッター押す指も悴みました。

【歴史】

北畠氏本城。下多気(しもたげ)の標高約600mの山頂にあり、興国三年(1342年)に北畠顕能が築いたものです。それ以後北畠氏八代の本城として続きます。 三代満雅の時 阿坂城の白米で馬を洗い敵を欺いたというような逸話も残ります。この満雅が津市岩田川の合戦で討死、これより北畠氏の勢力は弱まりました。 天正四年(1576年)、八代具教が三瀬館で暗殺された際 織田勢が多気に大軍で攻め寄せました。この時の城代の北畠政成は城で討死し霧山城は廃城となりました。  (資料より)


  
  
矢倉郭側の堀切
  
城址碑
  
米倉側から主郭
現地説明板より
主郭米倉からの眺望
  
鐘突堂郭の土塁
鐘突堂西端堀切
鐘突堂西端堀切
鐘突堂から主郭の尾根を望む
鐘突堂と主要部の間の鞍部        主郭南下の竪堀状
主郭虎口      主郭櫓台と城址碑
主郭と城址碑
主郭と城址碑
主郭米倉より鐘撞堂郭を望む
主郭と矢倉郭の間の堀切
矢倉郭全景
主郭と矢倉郭の間の堀切
矢倉郭側から堀切越しに主郭方向
矢倉郭東端堀切
矢倉郭東端堀切
  
主郭尾根手前の眺望
矢倉郭からの眺望

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