伊勢/ | 阿坂城 |
ファイルNo1714 |
白米城として有名な城
@ あさかじょう |
道案内 ←登り口(浄眼寺) | |||
伊勢自動車道の一志嬉野インタを下りて、料金所から左折し県道67号線に入ります。2.4Km先の島田橋を渡った島田橋南の信号を左折し県道30号線に入ります。1.2Km先の下之庄の信号で右折し県道58号線に入ります。道なりに3Kmほど行くと、県道の右手沿いに「白米城登り口」の石碑があり、その先に「浄眼寺・阿坂城」の案内板がありますので、それに従い右折し道なりに1Km先の伊勢道のガードをくぐり、400m先のお寺隣の登山用駐車場に車を留め、ハイキング道を小1時間登ります。なお、城跡には今回のルートが岩倉口とした場合、他には小野町からあるいは大阿坂口からのルートもあるようです。 |
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訪城備忘録 | |||
麓の案内板には30分と書かれてありましたが、比高260mで、寄り道でも45分というところでしょうか。(こういう案内板は余裕の時間で書いてあるのに、めずらしくきつめの時間でした^^;) さて、山道を旧道の塹壕道を横に見ながら登ります。道は幅もありしっかりした登山道です。途中、番所跡かなと思わせる桝形状の箇所、往時は土橋かと思わせる道の両側が竪堀状の箇所があったりします。(だいたい、この道は城があった頃からあるルートかも調べてないですけど・・・^^;) 連休ということもあったんですが、わりとたくさんの方々とすれ違いました。阿坂城は北郭と南郭に別れていて、北郭が実質の阿坂城で別名椎ノ木城と呼び、南郭が有名な白米城になります。北郭は切岸10mほどある台地に南北二つの郭があって真ん中が堀切状になっています。郭は土塁が巡っていて、霧山城に似た感じです。北郭下の登山道の斜面に倒木に遮られていますが、大きな竪堀状の地形が二条確認できます。北郭から南郭への登山道の左手は登山道が無い頃の尾根道だったんだと思いますが、途中小さな堀切状の箇所が二箇所確認できます。南郭はまさに砲台状です。円錐形の頭をカットしたという感じで、切岸で15mほどあるのかな?、郭は30mの円形という感じです。周囲の山並みから頭ひとつ飛び出している感じで、360度見渡せ、登ってきた疲れを癒してくれます。 |
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築城時期・築城者が定かではないようですが、南北朝期の史料に、文和元年(1352年)にはその名が記されているとの事です。伊勢北畠氏の初代を顕能とするならば、多気御所を康永元年<興国三年>(1342年)に築いたとされますので、この城もこの頃の築城と想像されます。この城が白米城と呼ばれるのは、応永二十二年(1415年)に三代の満雅が幕府軍との戦いにこの城に籠城した際、馬の背に白米を流して水があるように見せたためです。以後、家臣の大宮氏の居城でしたが、永禄十二年(1569年)の織田信長の伊勢侵攻の際に木下藤吉郎(豊臣)秀吉に攻められ落城し廃城となりました。 |