伊勢 三瀬館



ファイルNo2495

北畠具教最後の地

               館碑と説明板             

@ みせやかた 
  別名 三瀬御所 

A住所:多気郡大台町上三瀬
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:公園・山林

F遺構等:郭・碑・説明板・(堀切)
G時代/人物:戦国期/北畠氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2010年07月・2018年08月

  

道案内 

伊勢自動車道の勢和多気インタを下り、国道42号線を進みます。約20km先、上三瀬地区に入って上三瀬バス停手前で右折します。(北畠氏遺跡の標識有) すぐに道はクランク状で進み線路を越えます。踏切から150m先でT字を左に行きます。(標柱に右へと書かれてますが車は左に行ってください) 100m先で左手に駐車場でそこを右折します。約250m先で左折、すぐ右折し約150m先で小さな橋を渡り約100m先左手が館跡です。
 
訪城備忘録

館入り口に石垣がありますが当時のものかは?です。一段上がると左手奥に胴塚の碑があり、さらに一段上がると館碑と説明板があります。広い空間ですが遺構的なものは無いようです。さらに山側に三段ほど平坦地がありますが、遺構の平坦地なのかよくわかりません。館入り口と反対側へ下りていき、小さな沢を越え、住宅の裏手に北畠具教の胴塚があります。(首塚は松阪市飯高町野々口にあります) 館跡は遺構がはっきりしませんが、背後の愛宕山に物見台があり堀切が明瞭に残るとの事です。

館入口
歴史

永禄十二年(1569年)の大河内城での北畠具教と織田信長の戦いは、信長の次男の信雄を養子とし家督を譲る事で和睦し、いったん笠木館に移り、元亀二年(1571年)三瀬館を築きここに隠居しました。天正四年(1576年)、具教は信雄の刺客に殺害され、その後、三瀬館は森清十郎が居住しました。

削平地
削平地
  
胴塚の碑         北畠具教胴塚

近くの城・関連の城:大河内城 笠木館 三瀬砦