伊勢 赤桶城



ファイルNo3440


              二重堀切のひとつ              

@ あこうじょう 
  別名 閼伽桶城 

A住所:松阪市飯高町赤桶
    旧:飯南郡飯高町

B目標地点:西願寺
C形式:山城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁
G時代/人物:室町期/閼伽桶氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2018年08月

  

道案内 

伊勢自動車道から紀勢自動車道の勢和多気インタを下り、インタ入口の信号を左折し国道42号線に入ります。約800m先の丹生の信号を右折し国道368号線に入ります。約6km先の朝柄の信号で国道は左折です。約9km先の粥見井尻の信号で左折し国道166号線に入ります。約600m先の粥見出鹿の信号で国道は斜め右です。約9km先、国道166号線の左手が道の駅「飯高駅」です。道の駅から約4km先で右折し県道422号線に入ります。約400m先で県道は右折、そこから約250m先を戻るように逆V字に左折し坂を登ります。200m先、登り切ったところがグランドで右手上に寺がありここが西願寺です。本堂の裏手左手の斜面を直登します。(道とは言いにくいんですが国道166号線の栗子橋のところからコンクリートで吹き付けのある斜面の階段状を登り、足場の梯子状のところを渡り、昔の畑地を抜け右手の祠の裏手から城跡まではつづら道の細い道はあります。)
 
訪城備忘録

道案内の通りで道はあるにはあるのですがわかりにくく、比高もあまりないので東の斜面を直登の方がいいと思います。中腹に帯郭のような平坦地があり、さらに登ると主郭です。主郭には釣り鐘堂があり、ロープで撞木(しゅもく)に結ばれ麓の寺から鐘を打つことができるようです。主郭の西側下に二重の堀切が残ります。主郭下の堀切はわりと明瞭ですが尾根側の堀切は薄い状態ですが土橋は確認できます。さらに尾根側も平坦地になっていて先端は土塁のような盛り上がりがあります。ここまでは城域に見えます。
近くの野々口に北畠具教の首塚があります。合わせて見学されるとよろしいかと。

城跡標識
歴史

築城時期は定かではないようです。北畠氏の家臣の閼伽桶善四郎(あかおけ)の居城とされます。天正四年(1576年)、北畠具教が三瀬館で暗殺された後、弟の具親が再興を目指して挙兵し伊賀に入りました。天正五年(1577年)、具親に味方した閼伽桶善四郎は織田氏勢となった日置大膳亮、治大夫兄弟に攻められ落城したとされます。

       主郭下     二重堀切の尾根側堀切
城跡遠望     主郭の釣り鐘
  
二重堀切を主郭から見おろす
西の郭と先端土塁?
二重堀切/ 手前が浅い堀切と土橋、奥が主郭下堀切

北畠具教首塚 
住所:松阪市飯高町野々口  国道166号線の道の駅飯高駅から西に約1.2km先の左手に登り口があります。200mほど登ると首塚への登り口があります。標識に従い山道を200mほど行ったところに首塚があります。 五輪塔があり、水輪部分に具教の中刻まれ、地輪部分に殉死した家臣の名が刻まれています。五輪塔の裏手に小さな墓碑が行くとかあって殉死した家臣のものでしょうか。
歴史:天正四年(1576年)、三瀬館において織田信長の指示で織田信雄が刺客を差し向け北畠具教を暗殺しました。家臣は具教の首を刺客から取り返し、北畠氏の本拠地の多気へ向かって逃れましたが、多気も織田勢に攻められており、この地に首を埋葬し、家臣の何人かは殉死しました。

登り口      水輪部分
首塚

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