伊賀/ 北畠具親城



ファイルNo1837


                         堀切  

@ きたばたけともちかじょう 
  別名 

A住所:名張市神屋〜長瀬
B目標地点:旧:国津小学校・国津園
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁・案内板
G時代/人物:戦国期/北畠氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道沿いから20分

J撮影・訪問時期:2008年03月

  

道案内  ←登城口 ←城跡  ←城跡案内図のある場所

国道165号線の名張市役所前から奈良県に向かって800m先、名張川(新夏見橋)の手前の夏見の信号で左折し県道691号線に入ります。200m先で右折し、夏見橋を渡り県道81号線に入ります。2.5km先、青蓮寺湖沿いを進み、弁天橋の信号で直進し県道694号線に入ります。2.8km先、布生学校前のバス停付近で左折します。<ここに周辺の史跡案内図があります。> 400m先、坂を上ったところが国津園で、左折し県道693号線に入ります。左手、旧国津小学校を越え、600m先、丘陵先端下を越えると十字路で、この先の道が広くなっていますのでここに車を止め、先ほどの十字路を右手(奈垣国津神社に向かって)に進みます。200m先の右手に防火漕があり、ここに民家が2軒あります。民家の間を山に向かって細い坂道を登ります。途中犬に吼えられます^^; 尾根直前に作業小屋があり、尾根に登るとネットとトタンフェンスがありますが、これを越え、尾根左手方向に進みます。 (また、国道165号線夏見の信号から県道691号線を通り、1.8km先の下比奈知で県道693号線に入って、4.2km先が前述の奈垣集会所で、さらに600m先が十字路ですが、途中、県道693号線は相当に細く落石がありそうな道路です。下比奈知の先で右折し、丘の上のつつじヶ丘という大団地に迂回して進み奈垣地区に出た方がいいかもしれません。) 

訪城備忘録

神屋と奈垣の境に伸びる丘陵上に広範囲に遺構が残っています。登り口は南側斜面の水田・畑の上で斜面の中間にある城跡案内標識(県道と平行に旧国津小前から山すそを通り、民家前を通る道沿いから入ります。)から直登するか、北側の民家の裏手、茶畑の斜面を尾根まで登り、尾根上を進むかで城域に入れます。主郭は直径60mほどの円状で、低い土塁が北と西を巡ります。南と東は土塁というより斜面を削り込んだという感じで、上には郭があります。(こっちが主郭かな?)、南側に横堀、主要部を囲むように東側から北側に巡ります。この主要部の東側、北側、東南側に郭が連なり、明瞭な堀切が残ります。西側尾根先端部は大規模な防御施設はないようです。ここの城はこの時期(3月初旬)でも多くの郭は笹が生い茂り、遺構が見難いのは残念です。城域は広く、主要部は近世の城に近い縄張りを感じ、天正五年の1年で築城、落城した短期間の城としては広大で、天正七年(1579年)の第一次天正伊賀の乱までは使われたような気もするんですが、どうでしょうか?

南斜面の城跡標識と後方は城域
歴史

北畠具親は伊勢国司七代の北畠晴具の三男で、八代の具教の弟であり、興福寺東門院で僧侶でした。天正四年(1576年)に具教が織田信雄(当時は北畠信雄)の策略で旧家臣に殺害されたため、北畠家再興のため、天正五年(1577年)に還俗して、吉原氏を頼ってこの地に入り築城したとされます。しかし、信雄に攻められ、具親は毛利氏を頼り備後鞆に落ち延びたとされます。具親は天正十年(1582年)にも、伊勢で挙兵していますが失敗し、その後、蒲生家の客分として過ごし、天正十四年(1584年)に病没したと伝わります。

堀切の折れ                 主要部を巡る堀
主郭土塁                     主郭
北側からの進入路 
登城口と後方は城域(北側山すそ)           城跡遠景(南側より)

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