讃岐/ 丸亀城



ファイルNo1480

現存12天守のひとつ。高石垣が美しい城

                        天守    

@ まるがめじょう 
  別名 亀山城・蓬莱城

A住所:丸亀市一番丁 
B目標地点:亀山公園 
C形式:平山城  D比高:60m 
E現況:公園 

F遺構等:郭・現存天守・門・石垣・水堀・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/生駒氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  大手門から15分

J撮影・訪問時期:2006年05月・2017年03月

  
大手一の門(現存)

道案内】 ← 駐車場の位置

高松自動車道の善通寺インタを下り。善通寺インタ前で左折し国道319号線に入ります。2km先の原田西の信号で右折し国道11号線に入ります。600m先の信号で丸亀原田の信号で斜め左折し県道33号線に入ります。3km先の城西町の信号で33号線は左折です。450m先で右折し、500m先の大手一の門前でで左折した市民広場周辺の駐車場に止めます。



【現況・訪城記録】

残念ながら訪城した日はあいにくの雨で青空に映える天守を望む事はできませんでしたが、大手一の門(現存門)を過ぎたところより天守を見上げると石垣と天守は格別でした。市民広場の無料駐車場から大手二の門を通り一の門の桝形を抜けます。説明板から左手に登って行きます。見返り坂と言うそうです。三の丸、二の丸から本丸天守と進みます。天守は現存天守の中では小ぶりで、高さからしては福井の丸岡城天守より小さいですが、しかしながら、高石垣に建つ天守は遠くから見ると堂々としたものです。この城はなんと言っても石垣美ですね。三段の高石垣が城を大きく見せています。二の丸・天守を見学後、三の丸、搦め手側に廻り込み、1周する感じで天守の北側下に進みます。本丸石垣、二の丸石垣、威風堂々としています。

2017年3月に久しぶりに寄ってみました。今回は晴天で天守が映えました。大手一の門が内部公開されていました。

【歴史】

慶長二年(1597年)に高松城の支城として生駒親正が築城を開始したものです。慶長六年(1601年)に一正が二代目となり、城は慶長七年(1602年)に完成するも、元和元年(1615年)の一国一城令で一時廃城になりました。生駒氏は寛永十七年(1640年)に改易となり、翌年に讃岐は分割され、西讃岐には山崎家治が肥後富岡から入封し、丸亀城の再建を開始しました。万治元年(1659年)には山崎家が無嗣断絶し、京極高和が播磨龍野から六万六千石で入封しました。万治三年(1660年)には天守が完成しています。以後、明治維新まで京極氏が領しました。

現地案内板より
   
  
天守北面
  
高石垣
  
丸亀城
大手二の門
大手一の門
大手一の門内部
高石垣
天守
搦め手側水堀
  

近くの城・関連の城:

          

大手二の門と一の門と天守遠望              二の丸の桜        
大手二の門と一の門              城址碑   
大手二の門内側から         大手一の門桝形から
天守(南西面)<現存>        三の丸より天守
搦め手側より     石垣     山下曲輪より
御殿表門(復元)
天守より御殿長屋遠望        天守より大手一の門遠望

瀬戸大橋からの夕陽  2015.5  と春の海 2017.3