近江/ 檪野大原城



ファイルNo1933

高い土塁と深く明瞭な堀切など小さいながら見所が多い。甲賀の一品
           虎口より主郭内  

@ いちいのおおはらじょう 
  別名 
A住所:甲賀市甲賀町檪野  
   旧:甲賀郡甲賀町

B目標地点:檪野寺(らくやじ)
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:雑木林

F遺構等:郭・土塁・堀切・堀・説明板
G時代/人物:室町期/大原氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  西側麓より7分
J撮影・訪問時期:2008年08月・2021年02月
          2021年04月

  

道案内 ←城跡  ←説明板のある登り口

国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、西名阪という信号の約50m先の信号で右折し甲賀水口中心部に入ります。県道549号線を進みすぐの本綾野の信号で右折して水口町市街地(現:甲賀市)を抜けます。近江鉄道を越えて約600m先の内貴橋北の信号で右折し県道122号線(旧:国道307号線)に入ります。道なりに約1.5Km先の三大寺北の信号で県道4号線と合流し進みます。

庚申口の信号で国道307号線を横切りさらに県道4号線を進みます。庚申口の信号より約12Km先、油日の信号で左折し県道131号線に入ります。

約1.2Km先の油日神社手前で左折し檪野寺に向かいます。約1.4km先、檪野寺手前(擽野寺はY字を左、県道は右カーブ)で県道は右カーブになります。擽野寺からの道と県道の合流地点から約300m先(擽野公民館から150m手前)を左折し、集落内を抜けます。左折してから約150m先で小さな橋を越えた右手の丘が城跡で、橋を渡り約50m先を右折し、約200m先が登り口です。 (あるいは、檪野公民館を越えると道は左にカーブし小さな橋を渡ります。橋から斜め左の丘陵が城跡です。橋から250m先に左に入る細い道があります。左折すると右手にため池があり、少し行った左手に登り口です。)

訪城備忘録

細い道沿いの説明板のある背後から登ります。木の階段が付いています。12年前には説明板も階段もなかったです。地元の方々が整備されたようです。階段を頂部まで登ると東の郭(T郭)と主郭(U郭)の間の堀切です。深くて明瞭な堀切です。堀切を南側に抜けて右手に行くとU郭(主郭)の虎口です。東の郭(T郭)は郭内はやや藪ってます。土塁は無く、東端に堀切があります、小さいですが明瞭でした。 この城、10年の間で伐採など整備がされています。以前に来たときは竹藪がきつかったですが、相当に見やすくなってます。

主郭は3〜4mの土塁が周囲を巡り、甲賀に数ある城館の中では望月城新宮支城上野城と肩を並べる状態のよさです。主郭から西側へは主郭虎口前からスロープ状の通路があります。これは甲賀ではあまり見ない構造です。主郭(U郭)からスロープで下ると副郭(V郭)です。副郭(V郭)は北側からコの字で高いところで5mほどの土塁が巡ります。南側だけが崖状で土塁が無いです。

この副郭のさらに西、斜面を下りると西の郭(W郭)です。小さな平坦地とU字の堀状の窪みがあります。ここから下りると西側端の道沿いに出ます。この城、甲賀では特異な構造で、前述の城館や北内貴城村雨城などとともに複数郭をもつ見応えのある城館です。(土山城黒川氏城水口岡山城三雲城は別格ですが)

城跡遠景(西側から)
歴史

大原氏の一族、大原伴三郎が応仁の乱(応仁元年(1467年)〜文明九年(1477年))以降に擽野寺の寺領以外のこの一帯を支配するために築城した城と伝わります。

主郭と東郭の間の堀切   主郭から副郭への通路
  西側から城跡   
現地案内板より
登城口と登城道
  
東の郭〈T郭)と主郭(U郭)の間の堀切
東の郭から堀切      東の郭(T郭)
東の郭の東端堀切
東の郭〈T郭)と主郭(U郭)の間の堀切・北から
東の郭〈T郭)と主郭(U郭)の間の堀切・南から
主郭前通路    主郭内
虎口より主郭(U郭)を見る
主郭(U郭)虎口を郭内から
主郭(U郭)内と土塁
主郭(U郭)の井戸    主郭(U郭)の土塁
主郭(U郭)を土塁の上から
主郭(U郭)の土塁上      主郭と副郭の土塁つなぎ部分の堀
主郭と副郭の土塁つなぎ部分の堀
主郭から副郭へのスロープ通路
主郭から副郭へのスロープ通路・向こうは副郭
主郭から副郭へのスロープ通路・副郭(V郭)から
副郭(V郭)土塁
副郭(V郭)全景・土塁上から
副郭(V郭)
副郭(V郭)西側堀切状   西の郭(W郭)手前のくの字堀
西の郭(W郭)手前のくの字堀
西の郭(W郭)
西の郭(W郭)を土塁上から
2008年訪城
虎口から主郭     主郭土塁
スロープ通路     副郭土塁

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