近江 / 甲賀 望月城



ファイルNo0850

高い背後の土塁、明瞭な虎口と土橋、背後の深い堀切と甲賀の城の中でも見応えある城跡

             主郭虎口   

@ もちづきじょう 
  別名  −−−−−

A住所:甲賀市甲南町杉谷
     旧:甲賀郡甲南町
 
B目標地点:甲南第二小学校
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物: 室町期/望月氏 
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  集落麓から10分


J撮影・訪問時期:2003年03月・2016年10月
           2017年08月  他

  

道案内 

新名神高速道の甲南インタを下り、料金所を過ぎた甲南インター口の信号を左折し、600m先の新治口の信号を左折(常時左折可)し、700m先左手集落の背後の山です。

国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、西名阪という信号の50m先の信号で右折し甲賀水口中心部に入ります。県道549号線を進みすぐの本綾野の信号で右折して水口町市街地(現:甲賀市)を抜けます。近江鉄道を越えて600m先の内貴橋北の信号で右折し県道122号線(旧:国道307号線)に入ります。道なりに1.5Km先の三大寺北の信号で県道4号線と合流し進みます。庚申口の信号で国道307号線を横切りさらに県道4号線を進みます。庚申口の信号より約1.7Km先の矢川橋西の信号の次の信号を斜め右に入り県道49号線に入ります。県道49号線から県道132号線に入り、甲南第二小学校の横を過ぎスーバー農道との杉谷南の信号の斜め左の集落の背後が城跡です。

昔はスーパー農道に城跡の標識があったんですが今は取りはずされています。近くの村雨城・寺前城・竹中城などが国史跡になっているのにこの城は外れています。なんか事情があるんかな?
 
訪城備忘録

城跡には、集落内の民家と民家の間の空き地(昔は民家が建ってました)に、城跡にある小さな神社に上がる道があります。もし、判らなければ、山裾を巡る小道の北側にある教育委員会の標柱のところから直登すれば北の郭に出ます。甲賀豪族の典型的な単郭方形の城ですが、近隣の城に比べ大型の城です。甲賀の城は説明板や碑が設置してあるところが少ないのですが、ここも滋賀県教育委員会が立てた「文化財を大切に」という標柱があるだけです。今回訪城では、主郭の木が伐採されていて、非常に遺構が確認しやすかったです。主郭は5mほどの土塁で囲まれ、40m四方の大きさで主郭内部の一番奥は一段高くなっています。また、虎口は東側にあり、虎口前は土橋状で前の郭に繋がります。虎口には石積みの痕跡があります。土塁外側の周囲に横堀が巡り、特に西側堀は深く、二重堀になっているようです。また、主郭より北側には堀を挟んで三日月状に土塁が張り出した郭が存在します。北側堀から西側通路は土橋状になってます。北側堀は堀底道の機能があった感じです。

虎口土塁
歴史

室町期、甲賀の豪族望月氏の居城です。甲賀望月氏は信州佐久の望月氏の支流ともいわれ、望月氏は滋野氏の支流とされます。平安時代に望月兼家が所領を持ったと言われます。これは、佐久は望月の牧と呼ばれ、産駒の地であり、これを奈良・京都に献上する際にこの地を休憩地にしたためとされます。伊賀の服部、甲賀の望月と言われ、忍びの代表格であったようで、戦国期の望月氏は甲賀53家のひとつとされ、望月出雲守が当主として名乗ります。江戸期の望月忍者屋敷が近くに残ります。

城跡遠景

主郭虎口・手前土橋
主郭虎口
主郭虎口土塁石積み痕跡
主郭内から周囲の高土塁
主郭西外土橋状       主郭西側の二重堀
主郭西側堀
  
北側の郭の土塁主郭背後土塁
主郭内
北側の郭と土塁
主郭西側の堀

近くの城・関連の城: 望月支城 村雨城 服部城 新宮城