近江/ | 土山城 |
ファイルNo0839 |
甲賀土豪の城ながら技巧的な虎口と防御。織田勢力に改修された
@ つちやまじょう |
道案内 ←登り口 | |||
国道1号線旧土山町役場前の信号(現在は甲賀市土山支所)の信号を北に曲がり県道9号線に入ります。300m先の「あいの土山」の手前を右に入ります。住宅街と山裾近くを行くと土山城址碑のあるところに至ります。この付近は道が狭く車は駐車できません。城址碑のすぐ南側の路地にある公民館に駐車可能と考えます。 |
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訪城備忘録 | |||
城址碑の所より、南側がら北に向かって民家の横を細道を通り、藪の茂みに入ります。茂みはすぐ無くなり、沢が長く続く緩やかな登りを歩きます。10分もせずに右手に曲がると城域の虎口です。虎口は枡形になっており、さらに虎口を入った右手は広くなっていて武者隠しのようです。さらに、この右手には開口部があり土橋にて先の小郭のような空間と繋がっています。ここには櫓が建っていたのでしょうか。その先は堀切となります。虎口から左手上へ歩いて行くと正面に堀切が見え、土橋があり、土塁で囲まれた馬出し郭があります。その先にまた空堀が横たわり、大きな土橋がかかり、その先が主郭です。主郭前の堀沿いに左手に進むと櫓台と思われる土塁のある郭があります。主郭は四方を土塁が巡り南北側に虎口があります。北側虎口の外側は空堀から竪堀に落ち込む堀があり、その堀は東側下を巡ります。この城は豪族頓宮一族土山氏の城ですが、虎口の発達、主郭周辺の技巧を見ると、滝川氏支配時代、あるいは、小牧長久手の戦いの際に羽柴方に改修されたようです。 2016年04月訪城 西側丘陵の先端が伐採されていました。西側尾根先端側には明瞭な遺構はないのですが、見ようによっては郭と浅い堀切にも見えます。 2017年08月訪城 入口(説明板のある場所)から5mほどは藪になってますが、すぐに藪はなくなります。夏場でも見学のしやすい城跡です。 2018年08月、2019年05月に来訪者をご案内して訪城しました。 西側下に太陽光発電設備が作られたため妙に見通しは良くなってます。遺構への影響は一応無いですが。 2021年01月に来訪者をご案内しました。冬場に行ったのは初めてかな。先週の雪が残っていました。 |
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甲賀53家のひとつ、土山氏の城です。文明年間(1469〜87年)に土山鹿之助盛忠(頓宮利盛の二男)が築城したとされ、天正十年(1582年)、土山盛綱が当主でありましたが、滝川一益に攻められ落城したとされます。その後、天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いの際、羽柴(豊臣)秀吉が進攻の基地として改修された可能性が言われています。 |