近江/ | 清水山城 |
ファイルNo0708 |
高島氏の本城・2郭と3郭の間の堀切が圧巻
@ しみずやまじょう・せいすいやまじょう |
道案内 ←城跡 ←登り口 | |||
大津方面から来ると、国道161号線の新旭の信号を左折し県道301線を進みます。1.4km先の平井の信号で左折し、100m先で右折し、大荒比神社に向かいます。200m先で清水山城の大きな標識がありますので、ここを右折した先から城域に入ります。あるいは、新旭森林スポーツ公園の駐車場と北側のテニスコートの間の道を入って坂を上るとゲートがあり、そこから主郭までの道が整備されています。 |
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訪城備忘録 | |||
土塁の遺構としての完存した城です。主郭の礎石跡、主格南北斜面の畝状堅堀、南北曲輪群や主郭西側の二郭、三郭、及び、二郭と三郭の間の巨大な大堀切、麓付近に東・西の屋敷跡群なども残り、城全体の縄張りが確認できます。また、主郭より見る琵琶湖の景色がとても綺麗です。ところどころに城跡の説明板もあり、大変にわかりやすくなっています。 二郭と三郭の間の堀切は二郭から降りると10m近くあり、圧巻です。北郭群の畝状竪堀は、主郭周囲の畝状竪堀より傾斜は緩いですが、草木が少ないので見やすいです。私としては、特に居館部の遺構に興味がそそられました。真ん中に掘(大手道)が通り、両サイドの郭には虎口も認められ、土塁が巡っています。遺構自身は、そう手を加えて復元されてたりしていないので現状の遺構を楽しめます。 【主郭遺構について】 L字型の形をし北東の現在鉄塔の建っているところが櫓台(天守)跡と考えられているとの事です。主郭構造としては他の郭群に比べれば単純であり創建期の形を残すものと考えられるとの事です。主郭の礎石は入母屋作りの主殿が建っていたと考えられ、永禄年間(1558〜70年)頃に存在していたと考えらるとの事です。 |
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清水山城は、別名日高山城とも比叡谷城ともいわれ、嘉禎元年(1235年)に、高島郡田中郷地頭職の佐々木高信が築いたと伝えられています。その後、高信の嫡流の高島氏(越中家)が、高島七頭の総領としてこの城に拠って本郡を統治していました。その後、浅井氏の高島郡進出で永禄年間に大改修がされ、元亀三年(1572年)の織田信長の攻略まで存在したと考えられます。 <現地案内板より> (佐々木氏/佐々木信綱の次男高信が高島氏と称し清水山城を本拠としました。) |
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2郭と3郭の間の堀切 |
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