近江/ 船木城



ファイルNo1403

       願船寺   

@  ふなきじょう
  別名 

A住所:高島市安曇川町北船木 
     旧:高島郡安曇川町

B目標地点:願船寺
C形式:平城  D比高:−− 
E現況:寺・水田

F遺構等:郭・堀・石垣? 
G時代/人物:鎌倉期/高島氏(山崎(能登)氏)
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分


J撮影・訪問時期:2006年04月

  
堀跡を想像させる水田

【道案内】

琵琶湖大橋から国道161号線で敦賀方面に進み、32Km先、高島市安曇川町の青柳北の信号で右折し県道305号線に入ります。4Km先で県道はT字交差点にあたり、そのT字交差点を左折し本庄橋を渡ります。県道は右折ですが、そのまま直進し、500m先で左折すると正面が諏訪神社です。その左手後方に願船寺があります。
  



【現況・訪城記録】

前回は五年ほど前に訪れていましたが、夏場でありましたが午後7時半で さすがに真っ暗で途中断念にしてました。その後、なかなか来ることができませんでしたが、今回やっと訪城でした。基本的には単郭方形の居館だったようです。寺を中心に、一段低く水田が寺の周囲を巡るようにしてあります。堀跡が容易に想像できます。

【歴史】

高島七頭の佐々木能登守(山崎氏(能登氏))の居城とされます。


高島七頭(たかしましちかしら):佐々木高信は佐々木信綱の次男で高島氏を称し、高島氏は、高島、平井、朽木、永田、横山、田中、山崎(能登)の七家に分かれ、高島七頭と呼ばれるようになりました。総領家が高島家で、越中守を称し清水山城を居城とし、朽木城、永田城、横山城・武曽城、田中城、船木城、五番領城などが高島一族の居城として築かれました。
  
          
南船木側にある碑で、この一帯は普門寺跡は船木城出丸と言われるらしいですが確証はないようです。 
  
  

近くの城・関連の城:清水山城 田中城