伊賀/ 田矢伊予守城



ファイルNo0985

伊賀の城では規模も大きく、石垣を持つ城

                            主郭土塁石垣

@ たやいよのかみじょう 
  別名  −−−−−

A住所:伊賀市川合
    旧:阿山郡阿山町
 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・石垣・堀・説明板
G時代/人物:戦国期/田矢氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2002年04月・2004年6月
            2017年07月

  

道案内  

名阪国道(国道25号線)壬生野インタで下り、県道49号線北に進みます。1Km先のに西之沢の信号を左折し国道25号線に入ります。600m先の円徳院の信号で右折し県道674号線に入ります。1.8Km先の信号で左折し、さらに100m先で右折し坂を登ります。阿山ハイツの入り口を越えてまだ登ると道は左カーブで、カーブが終わったら右折し登ると引接寺と公民館に至ります。引接寺手前に大きな地区の駐車場があります。この寺の裏山が城跡です。引接寺右手に案内板と道がありますがこの道では主郭には行けません。この道は左手の城跡の崖に沿って北側裏手に廻わり右手の杉野氏館に行けます。主郭には公民館左手の道、墓所を過ぎたところに電柱が立っているところから入ります。入ってすぐ右手に少し登るとまっすぐと逆V字に左へ曲がり登る道がありますので逆Vの道を登ります。尾根まで登ったら右手に進むと主郭です。尾根に登ったところを奥に入ると土塁が巡る副郭も見られます。
 
訪城備忘録

ここは天正伊賀の乱の北伊賀拠点です。主郭は単郭四方土塁を基本としますが、南北に副郭を持ち連郭式に近い形になっています。副郭も土塁が巡り規模の大きな城跡です。主郭内部は竹薮状態で見通しは悪いですが、虎口が東側と南側にあり、南側虎口と主郭南側の土塁内側は石垣となっています。城の規模からしても伊賀の乱の際の中心拠点であったと想像できます。さらに、主郭の北側は削り残しの土塁と言う感じで非常に高さがあります。また、近くには三蓋山城が阿山ハイツに入るところの小山にあります。位置的には田矢伊予守城の出城的な位置であるが、資料によれば南氏の城との事で、行って見ましたが遺構はよくわからなかったです。

主郭
歴史

田矢氏は平家の系統で、寿永三年(1184年)の三日兵士の乱の平信兼の子孫が河合郷の土着して田矢氏を名乗ったとされます。天正年間には伊賀評定衆一二家のひとつで田矢掃部介が城主とされます。天正九年(1581年)の織田信長の伊賀侵攻の際、河合七郷の土豪がこの城に立て籠もり、田矢三郎左衛門を中心に信長方の蒲生氏郷、脇坂安治の軍に対し抗戦しましたが破れ落城しました。 史料には城主田矢氏は討死したとされますが、「信長公記」には「名誉の壺」を信長に送り降伏したと書かれているようです。

【伊賀十二評定衆と一揆集結の城】
百田籐兵衛<長田>  比自山城 福喜多将監<朝屋>
町井(清兵衛)左馬充貞之<木興> 
田屋(田矢)掃部介<河合>田屋伊予守城   
雨乞山城
音羽半六<音羽>    富岡忠兵衛<島ケ原>
小泉左京<依那具>
中林(中村)助左衛門<比土>春日山城
布生大善<布生>   滝野十郎吉政<柏原> 柏原城
植田豊前光信<下阿波>     家喜下総<西ノ沢>

南側虎口石垣
南側虎口石垣
内部石垣
主郭内部
東側虎口
南側副郭
南側副郭土塁
   
主郭内土塁と石垣
南虎口石垣と土塁
東虎口
  
登り口                    遠景

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