伊賀/ 柏原城



ファイルNo1122

天正伊賀の乱、最後の城

       北側麓空堀   

@ かしわらじょう 
  別名 滝野十郎城 

A住所:名張市赤目町柏原宮城 
B目標地点:柏原の勝手神社 
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・土塁(石落し)・二重堀・井戸・石碑 
G時代/人物:戦国期/滝野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社から10分

J撮影・訪問時期:2002年04月・2017年11月 他

  
主郭虎口・2002年

【道案内】 

東名阪(国道25号線)の上野インタで下り、左折し国道368号線を進みます。14Km先の名張市桔梗ケ丘で国道165号線との交差点信号で国道165号線に右折します。信号から8Km先、(名張市中心部を越えて)赤目口の信号を右折し県道543号線に入ります。赤目四十八滝を目指すように進みます。900m先で赤目口駅そばで近鉄線越え、赤目小学校を通過し、小学校の先で左折し250m先で右折、600m先の山麓の勝手神社を目指します。神社に城址碑があり、神社の北側の道を徒歩で東に歩きます。少し登る感じで100mほど進むと水田の向こうの茂みが城跡です。
  



【訪城備忘録】

天正伊賀の乱の伊賀土豪最後の城です。城は基本的には伊賀・甲賀によくある単郭四方土塁・周濠の城ですが、多重の空堀や石落とし用の土塁の切り込みの構造を持っています。この東側にある二重の空堀はこの辺では城としては一見の価値があります。南の空堀先の尾根上には細いですが堀切状に堀が二条長く掘られています。また、主郭虎口には石垣の痕跡があります。明瞭な井戸も残り、土塁も3mほどの高さがあります。北側麓には大木の所が城主館跡だったそうです。行くと方形の区画の跡があり、主郭側に三条の空堀があります。勝手神社の宮司さんは城主の分家のご子孫だそうです。整備には宮司さんがかんばられたようです。2017年の「忍びの国」の影響もあるでしょう、昔は主郭内は藪藪でしたが、今回訪城ではきれいに整備されていました。


【歴史】

永禄年間(1558〜70年)に滝野貞清が築城したとされます。天正二年(1574年)に貞清が死去した後は十郎吉政が継ぎました。天正九年(1581年)の伊賀の乱では柏原城に周辺の土豪が立て篭もり織田信長方に抵抗しましたが力尽きて降伏したと伝えられます。

東側空堀・2002年
     
  
主郭内・2002年
  
城址碑
  
土塁の上から主郭内
主郭虎口を郭内から(石積み痕跡)    主郭土塁(石落としのうねり)
南側空堀
東側の空堀
北側麓空堀
  
登城口説明板        西下空堀
北下空堀        主郭虎口
主郭虎口土塁(石積み痕跡)     主郭内         
主郭井戸        主郭土塁
南尾根空堀A
   南尾根空堀@         東側二重空堀外側
東側二重空堀主郭下
   居館         居館土塁
北側麓空堀

近くの城・関連の城:

          

主郭内井戸   2002年      空堀 
城跡遠望
勝手神社境内
城跡からの眺望