伊賀 木興城



ファイルNo3306

十二評定衆のひとりの町村氏の居城。今は遺構は無し

                           桶子神社舊跡の微高地 

@ きこじょう 
  別名  

A住所:伊賀市木興町
    旧:上野市木興町字元屋敷

B目標地点:桶子神社舊跡
C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:田園

F遺構等:なし
G時代/人物:室町期/町井氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2017年08月

  

道案内 

東名阪道の上野東インターを下り、右折し国道422号線に入ります。800m先、桑町の信号で左折します。1km先、八幡の信号で右折します。350m先の木興町の信号で左折します。耕地整理された田園の中を走ります。300m先を右折し、さらに300m先を左折した先の右手に桶子神社舊跡の微高地があります。この辺りが城跡です。
 
訪城備忘録

旧地名の「字」で元屋敷が城跡です。現在は耕地整理され広々とした田園が広がります。その中にわずかに桶子神社舊跡の微高地があり、「桶子神社舊跡」の石碑が立ってます。この辺りが城跡ですが、いずれにしても遺構はないです。桶子神社は木興町の住宅街の中に移転しています。町村氏一族は江戸期初期に現伊賀市枅川(丸山城跡の北側)に移り住み、庄屋として続き、江戸期家屋が現存しています。

現在の桶子神社
歴史

十二評定衆のひとりの町井氏の居城です。町井氏は清和源氏新田氏系とされ、木興庄に地頭として入ったとされます。町井左馬充貞之が十二評定衆になったようです。天正九年(1581年)の第二次天正伊賀の乱では貞之は木興城に籠城、「木興のなで斬り」と言われるほど織田氏に攻められ貞之は討死、子の清兵衛貞信は比自山城に立て籠り織田氏に抵抗しましたが、伊賀勢が比自山城を捨てて柏原城に集結し最後の抵抗した以後、貞信の動向ははっきりしないようです。子孫が枅川に移り住み庄屋として存続しました。枅川には天保二年(1680年)ころから屋敷を整えたとされ、現在ある建物は母屋が延享元年(1744年)頃とされるようです。書院はそれより新しいようです。

元屋敷方面遠望
比自山方向の西の山
  
町村家住宅(江戸期/伊賀市枅川)

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