伊賀/ | 比自山城 |
ファイルNo1139 |
天正伊賀の乱、北伊賀最後の拠点
@ ひじやまじょう |
道案内 | |
登り口が判りません。山の東側一帯に、芭蕉の森公園の南西丘陵(長田小の西側)に百田藤兵衛の城、西雲寺の南側に福喜多将監の城があります。これらの詰城ですからこの間に金毘羅神社・百田公民館もあり、その周辺から道があるのかもしれません。今回は直登しましたので、そちらの道を一応案内します。伊賀上野中心部から国道163号で西に向かいます。新長田橋から2.2Km先で国道から斜め左に入ります。コンクイート工場の手前です。道なりに左カーブを進むと住宅団地の入り口に至ります。「上野ニュータウン」と書いてあったと記憶していますが、地図で確認すると「桜ヶ丘ニュータウン」と表記されています。国道から住宅団地入口までの間の左手は採掘場のような平坦地が広がります。その先に山が見え、これが城跡です。正直、この平坦地を横切り、山に取り付き直登しました。 |
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訪城備忘録・歴史 | |
天正伊賀の乱の拠点のひとつの城。城域は広そうで期待していったのですが、すごい藪・・・。道も無いという感じで、仲間と行きましたが、仲間が居なかったらら絶対断念していたでしょうな^^; 藪を掻き分け尾根まで登り、彷徨いました。堀切の箇所など確認できましたが、城域全体は把握できないままでした。とにかく、藪がきつくて歩き回れない状態です。 歴史 この地域の有力豪族の福喜多将監と百田藤兵衛が中心となり、織田信長方の伊賀侵攻に備えた砦であるようで、北伊賀の最後の拠点と言われています。(南伊賀の最後の拠点は柏原城) 天正九年(1581年)に織田方である蒲生氏郷・筒井順慶が攻撃を受け、天正十年(1582年)に落城しました。 |
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