伊賀 植田氏城



ファイルNo3292

十二評定衆のひとりの城館、見上げると軍艦のような城館

                            南西の堀切

@ うえだしじょう 
  別名  

A住所:伊賀市下阿波
    旧:阿山郡大山田村

B目標地点:長泉寺
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切
G時代/人物:室町期/植田氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺から8分

J撮影・訪問時期:2017年07月・11月

  

道案内 ←城跡   ←登城口

名阪国道(国道25号線)の中瀬インタを下り、国道163号線に入り大山田方面に進みます。8Km先の平田の信号(伊賀市大山田支所手前)を直進します。さらに約8km先の信号を通過します。(左は富永の集落の外周を迂回して「さるびの温泉」への道です。) 信号から約600m先、斜め逆Vで右折します。道を下りと橋で服部川を渡ります。ここは「おおさんしょううお」が居る川のようです。橋から50m先で左折し50m先のゴミ集積場横に駐車します。先ほどの左折したところを右上に登ると長泉寺です。ここの本堂前で右手に行くと獣除けフェンスのゲードがあり、これを開けて小川に架かる朽ちた丸太橋を渡ります。(丸太橋は危険なんで川幅は溝程度ですからまたいで行かれた方がいいかも) ここより登ります。
 
訪城備忘録

寺の横の小川の簡易橋を渡り谷筋を登ります。右手の地形も城のように感じます。谷筋から大地に登るところに石垣が横たわります。砂防か何かの古い石垣のようです。ここを右手に上がり、大地を奥に進みます。夏場でも藪もなく間伐された林を抜けます。この台地、広い範囲がよく削平されてます。近くの小野氏館もそうでしたが、兵站基地にしていたんじゃないかと思う広さです。突然、城館の土塁が現れます。まるで、港の岸壁で軍艦の船体を見る感じです。興奮します。(笑) 城跡の麓を右廻りに北側に廻るとこれまた巨大な虎口が見えます。ここに登りますが、虎口手前斜面も小郭なのか城道なのか加工があります。巨大な平虎口から主郭に入ります。背後に高い土塁があります。尾根からの削り残しの大土塁のようで、櫓が建ってたんでしょうねぇ。後の三方は低めの土塁で囲まれていますが、虎口側の南、西側の土塁は高いです。西側土塁上から西の斜面を見ると支尾根の斜面に郭、堀切状の地形が見えます。大土塁の背後には大きな堀切があります。両サイドは竪堀として落ちてますが。東側の竪堀は途中で二股に分かれています。堀切というより堀底道であった感じです。縄張りは基本的には単郭方形プランの城ですが、大きさはちょっとすごいです。また、周囲の平坦地も広いです。これはある意味不思議な城です。

堀切
歴史

伊賀十二評定衆のひとり植田豊前守光信、植田筑前守光次の城館です。光次は、天正六年(1578年)の第一次天正伊賀の乱において、退却する織田信雄の殿を務めた柘植三郎左衛門(保重)を討ち取っています。天正九年(1581年)の第二次天正伊賀の乱で敗れ、光次は三河に逃れ、徳川家康に仕えたとされるようで、本能寺の変後は豊臣秀吉に仕えたともされるようです。

堀切         城館の城壁
  
城館の城壁
城館の城壁
城館の城壁(虎口側)
巨大な虎口
虎口
主郭と大土塁
虎口        主郭
西の土塁から虎口       主郭背後の大土塁
支尾根
西の土塁と主郭
大土塁の西側
南西の堀切(西から)
支尾根の堀切
堀切を尾根側から
南西の堀切(東から)
堀切を頂点から
堀切を東下から(竪堀風窪み)
堀切を東下から
  
登り口の小川       谷筋の分岐点
広大な台地
広大な平坦地と城館の城壁

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