近江 / | 梅垣城 |
ファイルNo0846 |
@ めいがきじょう |
道案内 | |||
国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、西名阪という信号の50m先の信号で右折し甲賀水口中心部に入ります。県道549号線を進みすぐの本綾野の信号で右折して水口町市街地(現:甲賀市)を抜けます。近江鉄道を越えて600m先の内貴橋北の信号で右折し県道122号線(旧:国道307号線)に入ります。道なりに1.5Km先の三大寺北の信号で県道4号線と合流し進みます。庚申口の信号で国道307号線を横切りさらに県道4号線を進みます。庚申口の信号より約9Km先の甲賀駅西の信号で右折し、県道775号線に入ります。すぐJR草津線を渡りすぐのT字を右折します。50m先を左折し杣川を渡り右折、龍福寺を越え左折し、集落を抜けたところにY字の交差点を右に曲がります。この交差点に「梅垣城」の道標があります。右折した正面の山が城跡です。(山裾に説明板と滋賀県教育委員会の「文化財を大切に」という石柱が立っています。) この説明板の右手の道民家の間の道を入り左手の民家の庭先を通り10mも登ると虎口です。 ▲ 甲賀の城は、数が多いせいかそれとも私有地が多いせいか、整備されている城跡・説明板や碑のある城跡は少ないです。滋賀県教育委員会の石柱はいたるところに立っています。旧甲賀町で説明板の設置してある城は梅垣城・和田城・滝川城・佐治城・笹山城くらいでしょうか |
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訪城備忘録 | |||
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民家の庭先から登ると虎口の分厚い土塁が正面に見えます。甲賀の典型的な周囲に土塁が巡る単郭方形(方形と言うよりこの城は丸いですが)の館城です。近くの多喜城や多喜北城よりは一回り小さな城です。郭内は雑草が生い茂り、土塁にも草木が生い茂っているため写真を撮っても土塁という感じにはなりません。以前5年前(2000年の頃)に訪れた時は民家の庭先ではなく、裏手の谷状のところから登ってみましたが、こちらも草木が多く閉口した記憶があります。 |
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この城は多喜氏の城と伝えられています。多喜氏は多喜彦太郎家継が祖とされます。多喜勘八俊兼は長享元年(1487年)の鈎の陣<栗東市>で戦功があったと記録されています。俊兼の叔父の由旭は油日神社の再建運動に尽力しました。<現地案内板より 甲賀町教育委員会> |