近江 | 多喜北城 |
ファイルNo0845 |
@ たききたじょう |
道案内 | |||
国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、西名阪という信号の50m先の信号で右折し甲賀水口中心部に入ります。県道549号線を進みすぐの本綾野の信号で右折して水口町市街地(現:甲賀市)を抜けます。近江鉄道を越えて600m先の内貴橋北の信号で右折し県道122号線(旧:国道307号線)に入ります。道なりに1.5Km先の三大寺北の信号で県道4号線と合流し進みます。庚申口の信号で国道307号線を横切りさらに県道4号線を進みます。庚申口の信号より約9Km先の大原市場の信号で右折し、すぐJR草津線を渡り次の道を右折します。200m先の大きめの道で2本目を右折し、杣川を渡り中出のバス停を過ぎ、道なりに300m行くと右手に祠(若宮社)があり、これを過ぎると道は左に大きくカーブし右手が集落で「元龍寺」の案内板が立っています。この元龍寺(観音堂)まで行き背後の道を10mほど登ると赤い囲いの祠があり、道は鋭角にU字に廻りますが、このUカーブの途中に右手の林に入る細い道があります。入って右に20mも行くと虎口です。<車で行かれた場合は若宮社の前が道が広がっているためこの辺に駐車させてもらって行くほうが無難です。) |
|||
訪城備忘録 | |||
基本的には甲賀によくある単郭方形の城ですが、土塁の高さが虎口付近で6mほど<写真B>ありそうで、南東側・北西側は山を削り込んであるようで、さらに高いものです。方形というよりは卵型の郭で、郭内は40*60mほどあるでしょうか、広いと言う印象です。郭内は密集した竹薮状態で、見通せないのが残念です。郭内は三段ほど段差があり南東側奥には低い土塁で囲まれた池のような箇所もあります。虎口から見て反対側土塁の一箇所がV字にへこんでいて、後世の改変なのか、何か意図があってのものなのか<写真A)?。この城は私のもっている資料の縄張図に乗っていません。滝公民館前に設置されている滝の史跡案内板では多喜北城になります。資料ではこのHPで多喜城と紹介している城が多喜北城になります。どちらが正解なのかわかりませんですが、名称は史跡案内板に準じました <2005年10月再訪> この城山の谷部を利用して削り込んで作られた城地であり、竹薮の奥(虎口の反対側)は段郭の如くに伸びています。つまり南側が土塁が無いようです。昔は畑として利用されていた事は容易に想像できます。そういう意味ではここを城と断定するには防御面で断定しにくい感じです。しかしながら、虎口周囲は明らかに人の手にて広げられ、削平されたこの場所を単純に畑地として見るにはもったいないな・・・。 |
|||
|
築城時期はわかりませんが、多喜氏の城で鎌倉期中頃(1280年前後)に多喜彦太郎家継によって築かれたと伝えられます。家継が多喜氏の祖と言われています。 多喜氏は伴四党(大原氏・上野氏・伴氏・多喜氏)の一つと伝えられます。 <梅垣城 現地案内板より参考> 鎌倉中期からの城はこの城なのか多喜城の方なのか実のところ私にはわかっていません^^;; |