近江 / 滝川城



ファイルNo0847

滝川一益の故郷の城

                                  城跡遠景  

@ たきがわじょう 
  別名 五反田城 

A住所:甲賀市甲賀町油日〜檪野  
     旧:甲賀郡甲賀町
B目標地点:檪野寺

C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:土塁・説明板
G時代/人物: 室町期/滝川氏 
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  檪野寺から10分


J撮影・訪問時期:2001年01月・2005年05月

  
北側土塁(正面から<冬>)

【道案内】 

国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、西名阪という信号の50m先の信号で右折し甲賀水口中心部に入ります。県道549号線を進みすぐの本綾野の信号で右折して水口町市街地(現:甲賀市)を抜けます。近江鉄道を越えて600m先の内貴橋北の信号で右折し県道122号線(旧:国道307号線)に入ります。道なりに1.5Km先の三大寺北の信号で県道4号線と合流し進みます。庚申口の信号で国道307号線を横切りさらに県道4号線を進みます。庚申口の信号より約12Km先、油日の信号で左折し県道131号線に入ります。1.2Km先の油日神社手前で左折し檪野寺に向かいます。檪野寺手前、檪野川の観音橋の手前50mに左側へ下りる道があり、その先の丘陵先端が城跡です。入り口に説明板が立っています。
 

【現況・訪城記録】

城跡は尾根先端を削り込んで作られたようです。基本は甲賀の典型的な単郭方形の城ですが、主郭西側の堀切から帯郭状の地形、あるいは、東側のにも副郭のような削平地があります。主郭南側が櫓台になっていたのか高い土塁です。この南側土塁下に低い土塁で囲まれた池のようなものがあります。これは遺構なのかは?です。また、高い南側土塁の外側は深い堀切が明瞭に残ります。なお、城の西側には滝川西城、北側400m先には滝川支城があります。

【歴史】

滝川一益が居城したことから滝川城と呼ばれ、またこの地の名称から五反田城とも伝えられます。滝川一益は甲賀大原庄に生まれ、16才まで在住した後、織田信長の配下に加わりました。石山本願寺攻めや伊勢長島一揆鎮圧などに武勇を上げ、信長四天王のひとりとして数えられました。後には関東一円を支配する管領となりますが、元亀元年(1570年)に信長の近江守護六角氏追討と六角氏支援の甲賀武士を攻める大将とされ、故郷の親類・同胞を攻めることとなり、戦国時代の世の下克上と悲話を物語る城跡です。 <現地案内板より  甲賀町教育委員会>

主郭南側土塁外側堀切

  
北側土塁(横から<夏場>)
  
主郭内南側の土塁囲みの池
    
  

近くの城・関連の城: 滝川支城