近江/ | 甲賀和田城 |
ファイルNo0861 |
@ わだじょう |
道案内 | |||
国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、西名阪という信号の50m先の信号で右折し甲賀水口中心部に入ります。県道549号線を進みすぐの本綾野の信号で右折して水口町市街地(現:甲賀市)を抜けます。近江鉄道を越えて600m先の内貴橋北の信号で右折し県道122号線(旧:国道307号線)に入ります。道なりに1.5Km先の三大寺北の信号で県道4号線と合流し進みます。庚申口の信号で国道307号線を横切りさらに県道4号線を進みます。庚申口の信号より約11Km先の田堵野西の信号を県道4号線側に左に進まずにJR草津線に沿って直進します。油日駅手前の油日農協前の信号で右折し、草津線を越えてすぐに二股を左手に県道51号線を進みます。善福寺を越えて薮内橋のバス停付近で左折します。曲がってすぐの右手田んぼの向こう山裾に説明板が見えます。この背後が城跡です。 |
|||
訪城備忘録 | |||
説明板のところの右手へ道が付いています。主郭右手(道から言うと左手に主郭)から廻り込み虎口の所に進みます。主郭は丘陵の先端を削り込んで作られているようです。主郭の土塁は良く残ります。主郭の北側は削平されており、さらに一段高くなった部分があります。説明板には天守の原形の櫓台があると書かれていましたがよくわかりません。南側も一段削平され外側に土塁があります。この背後は堀切となっており、その先の尾根も削平されています。和田城の近くには支城が4ケ所ほどあります。甲賀は1ケ村を統治する土豪領主が村を守るため本城に加え数箇所の支城を構える場合が多いですが、この和田城はその典型です。 |
|||
|
甲賀地方に残る中世城郭の代表的なもので、城主は和田伊賀守惟政と推定されます。和田惟政は、近江守護佐々木六角氏の軍奉行を務め、足利義昭を領内に亡命させ義昭を室町将軍に擁立した武将です。その後、雄琴城主(大津市),芥川城主(高槻市)となり、キリスト教伝来で有名なフランシスコザビエルを保護し、彼を信長に会見させた武将でもあります。本城は天守台の存在が推定でき中世城郭と近世城郭を結ぶ貴重な遺構です。 <現地案内板より> |