近江/ 雄琴城



ファイルNo1723
                         (丘陵西端の道から)右側が城域と思われます。

@ おごとじょう 
  別名 和田氏館 

A住所:大津市雄琴二丁目23
B目標地点:福領寺の西側
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:竹薮

F遺構等:土塁?
G時代/人物:戦国期/和田氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  福領寺前から8分

J撮影・訪問時期:2007年05月

  

道案内  

国道161号線の雄琴港口の信号で山側の旧道に入ります。すぐにY字で右手に進みます。600m先を左折した先が福領寺、雄琴神社です。ここの西側の竹薮が城跡のようです。
 
訪城コメント

城域は江戸時代に大雨の土砂崩れでほとんど埋没してしまったという記録があるそうで、福領寺の西側の竹薮を歩いてみても城域という感覚になりませんでした。また、城主の秀純の墓があるとのことでしたが、それも見つからずでした。福領寺の前を左手に登っていくと竹薮の後ろは広い畑地になります。この手前、道の左手の竹薮から中腹にある個人宅までが城域の中心部分のようです。
国道161号線より城跡を見る
歴史

和田源内左衛門秀純の居城とされます。秀純は甲賀の和田城主の和田高盛の三男とされます。なお、長男の子が惟政であるようです。秀純は永禄九年(1566年)に六角義秀から滋賀郡を与えられ、雄琴城に入城したとされます。<六角義秀は義賢(承禎)の又従兄弟に当り、嫡男系 義秀は蒲生氏その後織田氏に庇護され、子の義郷は豊臣家に庇護され大名となったとあります。いずれにしても、当主の義賢が居て、義秀の立場がわかりません^^;;> 元亀元年(1570年)の浅井・朝倉氏と織田氏との対陣では、秀純は浅井氏に与し、浅井氏の軍勢がこの城に駐屯したとされます。翌年には織田氏に降り、その後、明智氏との関係が深かったようで、天正十年(1582年)に落城したようです。


     土塁?             福領寺側より城跡側を見る
  
雄琴温泉駅の案内板(中央左に雄琴城と和田一族墓の表記)
上迎木の水田から琵琶湖・三上山を遠望

近くの城・関連の城:甲賀和田城