近江/ | 小谷城 |
ファイルNo0775 |
2024年で41年間、毎年4月に通った私の城巡りの原点の城跡
@ おだにじょう |
道案内 ←中腹駐車場 ←出丸 | |||
@ 北陸自動車道長浜インタから 北陸自動道長浜インタを下り、県道37号線を東に進みます。約3Km先の国道東上坂の信号で左折し国道365号線に入ります。約7Km先須賀谷温泉入口の標識を越えると、右手に小谷城の標識があり、ここを右折します(郡上南の信号400m手前)。麓に小谷城址ガイド館があり、大きな兜のモニュメントがあります。後は案内に従い、2Km先の中腹の駐車スペースまで登ります。この駐車スペースより本丸までは15分です。清水谷(しみずたに)には郡上南を右折し500m先の小谷戦国歴史資料館の前を通りさらに奥に入ります。 A 北陸自動車道小谷城スマートインタから 北陸自動車道小谷城インタを下り、県道265号線を左折します。約600m先の郡上の信号を右折し国道365号線に入ります。約600m先の郡上南の信号を直進し、約400m先を左折し、約300m左手が小谷城址ガイド館です。 (5月連休などは中腹の駐車場まで行けない場合があります。その場合は、小谷城址ガイド館からシャトルバスが出てます。) | |||
訪城備忘録 | |||
私がお城に魅せられた最初の城と言えます。戦国の五大山城(新潟県/春日山城・石川県/七尾城・滋賀県/小谷城・観音寺城・島根県/月山富田城)に数えられ、大嶽山(小谷山)から伸びる二つの尾根とそれに挟まれる谷すべてを城塞化しています。 一方の尾根は小谷山への尾根上に麓から出丸より始まり、主要な郭でも金吾丸・番所・御茶屋・御馬屋・桜馬場・千畳敷・本丸・中丸・京極丸・小丸そして尾根ピークの山王丸まで郭が連なり、ひとつひとつの郭には石垣があったり、土塁が巡ったりして、郭ひとつひとつが魅力的です。私は山王丸の崩れた石垣群、京極丸の分厚い土塁、京極丸の清水谷側下の石積みの桝形虎口、千畳敷から見る本丸の形、そして、本丸から見る千畳敷の桜、月初丸の大きな円弧上の土塁と落差が大きい堀切などが好きです。さらに、主要尾根の東側斜面はあまり大規模な防御は無いんですが、赤尾屋敷(浅井長政が自刀した地)周辺はまとまった郭群になっていて最近石垣が掘り出されてます。なお、小谷城の東側下、南側下(現在の須賀谷温泉から国道365号線周辺)は大きな沼地で天然の堀になっていたようで、これを考えて郭の配置はされているようです。主要尾根の西側の清水谷側へは御馬屋周辺から本丸にかけて長い竪堀が何条も落ちています。(京極丸から山王丸の斜面には竪堀が無いです。) もう一方の尾根には福寿丸・山崎丸という支城的な郭を配し、大嶽城は詰城的に最高峰に位置します。六坊の北側には月所丸にて守られます。月所丸は畝状竪堀があり、郭内は二重の円弧の土塁、堀切が北側尾根側を守ります。 これら山上の郭に対して、両尾根に挟まれた清水谷には重臣などの武家屋敷が立ち並んでいたようです。現在でも三田村屋敷や土佐屋敷の石垣は山王丸下の大石垣に劣らない石垣が残ります。 さらに、御局屋敷下〜京極丸下の西側斜面(中腹)には多くの広い段郭と割と規模の大きい石垣が数カ所残っています。また、横掛道と呼ばれる斜面に小道が作られていて大きな竪堀も見る事ができます。 私はこの城には1984年より4月に通うようになって2023年で40年になりました。通い出したきっかけは、桜の散り際に行った時に千畳敷が桜の花びらで埋まっていました。それが見たくて毎年通うようなりました。その年の天候などで、第三週に行っても桜の咲く状態は違います。それに加えて、年毎に桜の咲く勢いが無くなってきたように感じますし、少しづつ早くなっている感じです。小谷城は静かに歴史の中に眠ります。 実宰院の山門と浅井歴史民族資料館の2階にそれぞれ小谷城の城門という伝承のある門、福田寺には浅井長政が小谷城の建物を移築し寄進したと言われる浅井御殿があります。(なお、毎年小谷城までは行っていますが、毎年全山廻りわけでもありませんし、年によっては中腹の駐車場まで、あるいは、麓で引き返している年もあります。^^;) 詳細遺構写真については別ページでご確認ください。 ※※※※※ 以下は訪城履歴(2009年以降、2008年以前は略) ※※※※※ 2009年4月訪城 快晴の日、本丸正面で右手の桜は散りつつあり、左手の桜が満開の状態です。 2010年4月訪城 本丸正面で右手の桜が満開ですが、左手の桜はまだという状態でした。 2011年の大河ドラマが「江 姫たちの戦国」と決まって、お江の生まれたのが小谷城。そのためか早くも整備が始まっているようです。ブルーシートはすべて撤去され、木々も眺望が利くように多く伐採されたようですし、案内板なども新しくなってました。肝心の桜は枯れた木を切り倒してあったので、また本数が減ってます。枝も折れている木もあり、さらに桜がさみしくなっているのが気になります。 2011年4月訪城 大河ドラマの影響で、麓に浅井三姉妹博覧会会場が出来ていて、中腹の駐車場まで乗用車では登れなくなっていて、徒歩で登るか、麓からのシャトルバスで登ります。料金は500円でした^^; 今年は桜が遅く、第三週土曜日でも(第三週でも16日は早いかもね)桜はまだ2分咲き程度で今年は完全に外れでしたね。当然ながら、見学者も例年からすれば大変多かったです。また、来年、静かな小谷城で桜を楽しみにしたいものです。ただ、この催しのおかげで御馬屋の郭は木々が伐採され、大きな土塁が明瞭な形でみられ、ここの土塁の上からも琵琶湖が遠望できました。なお、この交通規制は12月4日までのようです。 2012年も交通規制がかかっていてバスでしか上には行けませんでした。この年は久しぶりに本丸には行かずで、出丸まで歩いて登って終わりにしました。12月までは規制するようです。 2012年8月訪城・2020年06月 竹生島 小谷城ではないのですが、小谷城にゆかりの竹生島に行きました。都久夫須麻神社(つくぶすま)<竹生島神社>には浅井姫が祭られています。神社本殿は伏見城の移築と言われ国宝です。また、宝巌寺(ほうごんじ)唐門<国宝>、観音堂<重文>、渡廊下(舟廊下)は豊国廟から移築とされたものですが、豊臣大坂城の極楽橋から移築されたものを再移築されたもので、豊臣大坂城の建物遺構と言えます。2020年春に修復が完了し往時の黒漆と鮮やかな装飾色彩が蘇りました。竹生島には長政によって一時久政が幽閉されたとの話があったり、竹生島周辺湖底には浅井氏の軍資金が眠っているという話もあったりしますが・・・。 2013年4月訪城 ひさしぶりに月所丸、大嶽城まで行きました。大嶽城の二重堀切の先の尾根を下ってみましたが、焼尾丸までは下りてなかったようです。桜は残念ながらまだ早かったようでした。 2014年4月訪城 31年通っていて初体験は日本カモシカとのにらめっこでした(笑) 桜は散ってしまってました。 2015年4月訪城 出丸、本丸〜山王丸、月所丸、大嶽城、福寿丸、山崎丸まで廻ってきました。幻の桜はもう見られそうにありませんな。 2016年4月訪城 本丸〜山王丸、六坊から清水谷を廻ってきました。本丸・千畳敷の桜は昔に比べ古木になったせいか年々力はなくなっている気がしますが、それでも桜は満開で綺麗です。 2016年8月訪城 夕陽を見に本丸まで行ってみました。 2017年4月訪城 本丸〜山王丸、六坊・月所丸から大嶽城、福寿丸、山崎丸を廻ってきました。 本丸・千畳敷の桜の木が4本ほど伐採されてました。あいにくの雨でしたが、靄がかかってなんか幻想的な感じ。木に付いてるひっかき傷は熊のものかな? 2018年4月訪城 今年の桜は早いです。 小谷の桜もすでに咲いているのではと1日の夕方に行ってみました。すでに右側の桜は八分咲きでしたね。昨年伐採されたため、右側の桜も4本程度です。寂しくなりました。今年は本丸までで。 2019年4月訪城 福寿丸・山崎丸を除く全域を廻りました。 桜はまだ早かったです。お天気が良かったんで、気持ちよく廻りました。 2020年4月訪城 4日に行ってみましたが、桜は咲いていました。すでに桜の木は4本くらいしかなく、昔のような桜の勢いはないです。今回は、月所丸から尾根を進み、尾根上の堀切を1条越えた先の浄心平から右手の斜面を進み、途中の本宮の岩屋を通り西池まで下りてみました。このルートは小谷城落城時、三姉妹が逃れた道とされ、いつからか「こじき坂」と呼ばれるようです。また、本宮の岩屋は蘇我氏に敗れた物部守屋氏が隠れた場所とされるようで、入り口は大人が横にならないと進めませんが中は6畳ほどあるようです。入口が本当に狭いんでおなかがつかえて入れません。^^;(笑) 2021年4月訪城 3日に行きました。桜はもう駄目かなぁ・・・。今回は主要部から六坊経由で清水谷に下りただけです。ただ、主要部の端を見てました。(笑) 桜馬場から本丸までの西下帯郭とそこの残存石垣、中丸の刀洗池の東側斜面に初めて残存石垣を見ました。六坊の東斜面にある4条の連続竪堀を確認してみたんですが、やはりよくわからんですわ^^; 長野から飼い主さんといっしょにワンコが城巡りにきてました。(笑) 2021年11月訪城 紅葉がどうかなと寄ってみましたが、麓のみで帰りました。 2022年4月訪城 2日に行きました。桜は期待せずでしたが、まだまだ蕾でした。いつもの通り中腹駐車場から山王丸・六坊・月所丸、いったん大嶽城に登って、清水谷に下りてきました。 2022年9月訪城 9月1日は450年前に小谷城が落城、浅井長政が自刀した日と言う事で、9月3日に長政公450回忌のイベントが小谷城赤尾屋敷跡で開催されました。私は申し込みが遅れたので参加できませんでしたがイベント終了後に独りで行かせていただきました。自刀の碑は綺麗な花が飾られておりました。 ところで、赤尾屋敷というのは東斜面に3段の段郭を持っていて、相当昔に一度下りたことがあったんですが、その際は平坦地という印象しかなかったんですが、赤尾屋敷の直下の郭に石垣が掘り出されており、見学できました。この石垣、初めて見ました。 2023年4月訪城 毎年4月に通った小谷城ですが40周年になりました。今回でこの恒例行事は一応終了と思ってます。その集大成では無いですが、今まで登っていなかった清水谷から主要部までの斜面登りに挑戦しました。水の手道を登り、西斜面の郭に残る石垣や竪堀を見て登りました。この斜面一体にある郭群、けっこう広い郭が段郭状に繋がってます。いったん京極丸まで登り、その後、新たに掘り出された赤尾屋敷とその下の郭の石垣、首据石下の石垣をすべて確認して、番所上の展望台から横掛道と呼ばれる主要部西斜面に付いている小道を進み、御馬屋下、桜馬場下の大きな竪堀を見学し、御局屋敷下の石垣を見てから月初丸、大嶽城、清水谷大野木土佐屋敷、落合屋敷の石垣を見て戻りました。40年も行ってて、斜面石垣や山中の郭・竪堀を見たのは初めてでした。この城、やっぱり巨大だわ・・・。 2023年5月訪城 先月見落しした大堀切の通路の反対側、東斜面にある石垣を見に行き、横掛道から見られる石垣、竪堀を見直ししたとともに出丸に久しぶりに寄りました。 2024年4月訪城 今回は番所から本丸で引き返しました。「はじまりは小谷城」という本をゲットが目的でした 追加ページ⇒小谷城(2019年〜2024年 写真) 詳細遺構はこちらで 別ページ⇒福寿丸 山崎丸 清水谷・出丸 大嶽城 |
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大永三年(1524年)に浅井亮政が守護京極高清の家督争いの際に京極氏の重臣上坂信光と争い、翌年の大永四年(1525年)に京極高清・高延親子を小谷城の京極丸に迎えてたとされますので、小谷城はこの頃には築城されたと考えられています。永禄四年(1562年)には、浅井長政は織田信長の妹、お市の方を妻に迎え、織田家と同盟関係を結びますが、長政の父の久政の時代より越前朝倉氏とも密接な繋がりがあり、織田信長が元亀元年(1570年)の越前朝倉義景攻めに際し、信長に反旗を翻しました。元亀元年(1570年)六月の姉川の合戦では、織田・徳川連合軍に敗北し、その後、天正元年(1573年)に朝倉氏を滅ぼした織田信長は、越前より折り返し小谷城を攻撃し、浅井長政は自刃、浅井氏は滅亡しました。浅井氏滅亡後、江北12万石は羽柴(豊臣)秀吉に与えられ、秀吉は今浜を長浜と改め、長浜城を築城して小谷城は廃城となりました。なお、現在の彦根城の西の丸にある三階櫓は長浜城へ移築された小谷城の天守を再度移築したものと云われています。 | ||
小谷城プレミアム(2019年〜2024年写真) 詳細遺構はこちらで 縄張り図写真(現地案内板より:湖北町教育委員会) 小谷城本丸と桜の写真ページ (今はもう桜が三本しかなく見られない光景) |
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城域以外の関連史跡 |
小谷城プレミアム(2019年〜2024年写真) 詳細遺構はこちらで |
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小谷城プレミアム(2019年〜2024年)詳細遺構写真 小谷城本丸と桜の写真ページ(今はもう桜が三本しかなく見られない光景) |
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2012年・2020年 竹生島 |
小谷城プレミアム(2019年〜2024年)詳細遺構写真 小谷城本丸と桜の写真ページ(今はもう桜が三本しかなく見られない光景) |