小谷城
2019・2020・2021・2022・2023 


ファイルNo0775−S

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桜の馬場の先端からの眺望/2022.09
☆各遺構ポイント☆

 1)お茶屋から黒鉄門・桜馬場まで      2)赤尾屋敷・赤尾屋敷周辺石垣

 3)千畳敷・本丸・大堀切・大堀切下石垣  4)御局屋敷・御局屋敷下石垣

 5)中丸・京極丸・小丸     6)山王丸   

 7)六坊・月所丸・越前忍道からこじき坂

 8)清水谷土佐屋敷・落合屋敷     別ページ:清水谷・出丸

 9)清水谷水の手道から京極丸下までの斜面遺構

10)横掛道から御局屋敷下の斜面遺構     11)各所の銅像

別ページ 大嶽城  福寿丸  山崎丸

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赤色立体図(小谷城歴史資料館にて)
 御茶屋から黒鉄門

中腹の駐車場から登るとまずは番所です。この反対側の頂は金吾丸です。 番所は二段で段差には往時は石垣があったようです。 登って行くと虎御前山城を望むビューポイントで逆V状に登って行くと主要部の一番下の郭の御茶屋の郭です。「御茶屋」というかわいい呼称ですが、庭園跡が確認されるためそう呼ばれるようですが戦闘の郭です。 続けて御馬屋の郭と馬洗い池です。御馬屋は 掘り込んだ形の郭で三方を土塁が巡ります。馬屋であったかは不明ですが井戸が残ります。馬洗い池はわりと大きな山上の池です。清水が湧いていた感じです。馬洗い池上の桜馬場との段差(切岸)には往時は石垣があったと言われています。 この馬洗い池、馬洗いではなく、桜馬場斜面に取り付かれないための防御の水堀と考えられるとの事です。 すぐ上に首据石があり、右手に行くと赤尾屋敷です。この東斜面に大きな石垣が出ています。 主要道を登ると黒鉄門で手前が桜馬場です。桜馬場は西側に帯郭があり石垣の痕跡も残ります。桜馬場先端からは眺望が開けています。黒鉄門は大きな石の石垣としっかりと石段が残ります。その横に小谷城城址碑があります。桜馬場の帯郭のさらに斜面下に巨大な帯郭があります。桜馬場から千畳敷を越えて御局屋敷手前まで続いていて石垣も一部残ります。(今は帯郭と御局屋敷は繋がっていますが往時は竪堀で遮断されていたようです。)

番所
番所と御茶屋の間の展望台から(左手・虎御前砦、右手・山本山城 中央奥・竹生島)
御茶屋
御茶屋
御茶屋から西斜面に落ちる竪堀上部
御馬屋と馬洗い池
御馬屋
御馬屋
馬洗い池
黒鉄門石垣と石段
黒鉄門石段から千畳敷の桜を見る(2020)
黒鉄門の石垣/2022.09
桜馬場
桜馬場
桜馬場・千畳敷の西下 大帯郭
桜馬場西下 大帯郭との斜面に残る残存石垣
桜馬場・千畳敷の西下、大帯郭に残る石垣
桜馬場・千畳敷の西下、大帯郭に残る石垣
桜馬場と大帯郭との斜面に残る石垣
赤尾屋敷
 
赤尾屋敷は小谷城落城時に浅井長政が自刀した場所と伝わります。2022年9月で落城450年という法要が行われました。 赤尾屋敷の東下郭、赤尾屋敷の東面と北面に石垣が出ています。 また、赤尾屋敷入口の首据石、及び、その横の伊吹山・横山城展望所の下の斜面からも規模の大きな石垣が出てきています。そのほか、入口から赤尾屋敷までの通路で途中竪堀状の箇所で道が細くなっていますが、これの手前東斜面にも石垣の痕跡があります。

赤尾屋敷(浅井長政自刀の地)/2022.09
赤尾屋敷から本丸方向を見上げる /2022.09
赤尾屋敷下段郭の残存石垣/2022.09
赤尾屋敷下段郭の残存石垣/2022.09
赤尾屋敷下段郭の残存石垣/2022.09
石垣痕跡   赤尾屋敷下段郭   郭内
赤尾屋敷東斜面石垣痕跡/2023.05
赤尾屋敷東斜面石垣痕跡/2023.05
赤尾屋敷斜面北石垣痕跡/2023.04
赤尾屋敷北斜面すぐの石垣/2023.04
赤尾屋敷手前斜面石垣痕跡/2023.04
首据石
首据石横からの眺望
首据石東下石垣/2023.04
首据石下巨石/2023.04
首据石下巨石横石垣/2023.04
千畳敷・本丸・大堀切
 
広い空間を千畳敷、一段高く砲台状を本丸と呼んでいます。 千畳敷には40年前ですと本丸を正面に右手に8本程度、左手に4本程度の山桜があって、最初は右側が咲き、遅れて左側が満開になってました。満開後に花びらが千畳敷を埋めました。それが見たさに結局40年も通ってしまいました。(笑) しかし、今は桜の木は腐ったりして伐採され右手に4本程度しか残っていません。また、桜の満開も昔は4月第三週でよかったですが、今は第一週目には咲いています。地球の温暖化を感じざるを得ません。千畳敷には礎石も残り、大きな建物が建っていた事でしょう。本丸には三階櫓が建っていたんじゃないでしょうか?石垣は本丸の千畳敷側に切岸の1/3程度が残り、側面の通路を狭める感じで飛び出している土塁の側面に残っています。 本丸背後、中丸との間に巨大な大堀切が横たわっています。今は千畳敷から本丸の西下を通り大堀切の西端を進み中丸の虎口に至るんですが、往時も城道としては同じじゃなかったのかな。

千畳敷の桜/2020.04
千畳敷の桜/2020.04
本丸(鐘丸)と石垣/2020.04
本丸(鐘丸)/2023.05
本丸背後大堀切/2019.04
本丸背後大堀切/2019.04
本丸背後大堀切(東側から)/2023.05
大堀切東斜面石垣/2023.05
大堀切東斜面石垣/2023.05
 御局屋敷・御局屋敷下石垣
 
本丸の西斜面下を御局屋敷と呼びます。下りるとすぐに左右に分かれて下の郭に下りる事ができます。左側の坂は後世の道のようです。下の郭は今は桜馬場・千畳敷下からの巨大な帯郭に繋がってますが、往時は竪堀で御局屋敷とは分離していたようです。下り口上部には石が散乱していて石垣の痕跡のようです。本丸から右手(北側)に下りたところが御局屋敷です。さらに斜面(西側)を下りると大きな石垣が残っています。二段の石垣になってます。

御局屋敷上部石垣痕跡
御局屋敷上部石垣痕跡
御局屋敷上部斜面石垣
御局屋敷へ北側スロープ
御局屋敷/2023.05
御局屋敷下の石垣/2023.05
御局屋敷下の石垣/2023.04
御局屋敷下の石垣/2023.04
中丸・京極丸・小丸

大堀切を越えると中丸があり、京極丸になります。中丸は大堀切の西端から90度曲がり、坂を上って中央の虎口から郭内に入ります。郭内は大きな三つの郭が連なり、各段差側面には石垣が残っています。一番奥に刀洗池と呼ばれる小さな池があり、これを回り込んで上に上がると京極丸の前面段郭になります。三段の郭を過ぎると東側に高い土塁がある京極丸で東端に虎口があります。この京極丸の東側にも郭があり、されにその下のもあります。この辺はわずかに石垣が残ります。京極丸の虎口は石垣で固められていたようで、石垣の痕跡が残ります。郭内も広いです。この京極丸の西側下にも大きな郭があり、南西端に三方を石塁で囲まれたであろう虎口があります。虎口のさらに下にも郭があります。ここに水の手道で登ってくることになる感じですが明瞭な道はありません。京極丸の上は小丸になります。東西二段の郭で、東側が高い郭です。小谷城落城時、久政がここで自刀したと伝わるところです。この北西端に搦め手道となるつづらの道の虎口があります。(N教授はここは桝形虎口ではなく四方を石垣で囲まれた構築物(櫓?)ではないのかとのお考えもあるようです。) 

 
中丸虎口
中丸
京極丸虎口
京極丸虎口土塁
京極丸内と土塁
京極丸下郭桝形虎口石垣
京極丸下郭桝形虎口石垣
京極丸下郭桝形虎口石垣
京極丸下郭
小丸
小丸から西斜面への虎口(搦手道?)
 山王丸・大石垣

小丸から上がると前郭はあり、その上が山王丸です。崩れていますが、坂虎口の大きな石で作られた虎口があります。その両サイドにも大きめの石が積まれた石垣があります。ここを東面に回り込むと「大石垣」と呼ばれる残存度が高い石垣がありますが虎口の石垣とは石の大きさ積み方が違います。山王丸は広い郭が三段にわたり連なり、中央の郭には山王社があったとされます。後段の郭は一段高く土塁で仕切られ、内側には石垣が残ります。 ここまで大きな郭でなおかつ最頂部でありながら山王社だけの郭というのはとは思います。 ここが神聖の場所であるため、かつ、主筋の京極氏を京極丸に入れたため、本丸が現在の位置になったと言われたけど。 (N教授はここが本丸というお考えもお持ちのようです。) ここには昔、「小石一つも文化財」という標識が立ってました。歴史の証人ですから遺構を痛めないように楽しみたいものです。

山王丸下石垣
山王丸下石垣
山王丸への虎口と崩れた石垣
山王丸下大石垣
山王丸下大石垣
山王丸下大石垣と長野から来た城巡りワンコのバディ君(笑)
山王丸
六坊・月所丸・越前忍道からこじき坂

山王丸から岩場の急斜面を比高で50mほど下りる感じで、下りたところが六坊です。ここには領内の寺の分院があったようです。東側土塁があり、薮で分かりませんが東斜面には畝状堅堀があるようです。ここまで朝倉氏の改修の手が加えられたようです。

六坊を過ぎると右手へ行く道、斜め左手を登る道、戻る感じで谷に向かう道に分かれます。右手は月所丸、上に登る道は大嶽城、戻る感じは清水谷に向かう道です。

月所丸に行く道へ進むとすぐの右手に大きな堅堀があります。さらに進むと月所丸入口で右手に進みます。但し、まっすぐ行くと畝堀が並んでます。こちらの移動を阻止したかったんでしょう。
月所丸は二つの大きな郭からなり、各郭端は円弧状の土塁があります。尾根側の郭の土塁の先は高低差が大きな堀切にあり、さらにもう一条の堀切があります。ここまでの土塁を使っているのは主要部では京極丸だけです。ここも朝倉氏の構築と考えられます。月所丸は資料に名称としては無いらしく、発見された方が地名を持って命名されたとの事です。
この月所丸、軍艦の艦橋と舳先部分に見えてしまうんですよね。

月所丸の二重堀切を越えて尾根を進むとまた堀切が一条あります。この尾根道は越前忍道ということになるようです。しばらく行くと浄心平という平坦地で忍道はそのまままっすぐですが、右に折れて尾根を下ります。この坂は「克巳<こじき>坂」と呼ばれ、小谷城落城時、お茶々、お初、お江の三姉妹が落城前に織田軍に引き渡されたのでは無く、侍女に導かれこの坂を下りて逃げ、実宰院の長政の姉に匿われたともされます。この坂、相当に長い尾根斜面です。比高で200m以上あるかもです。この坂の途中に「本宮の岩屋」があります。ここは大和期に蘇我氏に敗れた物部守屋が隠れたとされます。このまま下りると西池です。西池の集落側には侍女の墓という言われる墓があります。この墓には天正元年の文字が刻まれてます。

 
六坊と土塁
月所丸そば畝状竪堀
月所丸そば畝状竪堀
月所丸と土塁
月所丸土塁
月所丸堀切
月所丸堀切
月所丸堀切と切岸
月所丸切岸
月所丸の先尾根上の堀切
月所丸の先尾根上の堀切
浄心平       こじき坂斜面標識
本宮の岩屋
本宮の岩屋
西池
大嶽城の途中から小谷城の尾根全景
清水谷/土佐屋敷・三田村屋敷

清水谷一番奥まった所、六坊から下りて来た道沿いに大野木土佐屋敷、三田村屋敷があります。土佐屋敷の石垣は特に隅部が大きな石を使った石垣で高石垣を積めなかったからか二段で積み上げられています。小谷城の中で現在見られる石垣の中では最大の高さではないかな。三田村屋敷の石垣は道から正面に見える石垣と右手から道沿いに残る石垣が違う形に見えます。 
別ページ  清水谷・出丸

清水谷土佐屋敷石垣
清水谷土佐屋敷石垣
清水谷土佐屋敷石垣
清水谷土佐屋敷石垣
清水谷土佐屋敷石垣
清水谷三田村屋敷石垣
 清水谷・水の手道から京極丸下までの斜面遺構(郭・竪堀・石垣)

清水谷の道沿いの「水の手」と言う標識があります。ここから京極丸に向かって登ります。沢の右手を沢に沿って登って行きます。途中、竪堀があり、この右手を登って行きました。水源である井筒池と言うのがあったようですが、今は消滅している感じです。 中腹まで登ると突然しっかりとした石垣が現れます。この斜面遺構では最初の郭と石垣でした。水の手道を監視する郭のようです。(仮)水の手郭としておきます。郭面はしっかりとした削平され、そこそこ広い空間です。山側を見上げると斜面に二つの竪堀状が見えます。右手は怪しいですが、左手のものは竪堀だと思います。

水の手郭の北側からまた斜面を登ります。大きな段郭が連続である箇所に出ます。特に上の段郭は大きな郭です。段郭の切岸にも石垣の痕跡があります。さらに郭の北側の竪堀沿いの登り土塁状のところを登って行くと山中に大きな石垣が残っています。後で確認すると(通称)横掛道から見たら二つ下の段郭にあるものと思われます。石垣から上に登ると横掛道に到達しました。横掛道沿いの大きな郭です。「大野木跡?」という標識が木に括ってあしました。これの南側(京極丸の直下)に手書きの概略図がかけてありました。これはありがたいです。このまま南へ横掛道を歩いて行くと桜馬場、御馬屋の下の大竪堀側なんですが、いったん上に登ります。 京極丸の西下の郭(石積み桝形虎口があるところ)のさらに下の郭の西斜面下の石垣遺構があります。ここの規模も大きいです。残り方がちょうど菱形に近い形で残ってました。

丸子岩下の沢にある石垣      清水谷/丸子岩      
清水谷の竪堀
清水谷の竪堀(桜馬場下まで続いている)
清水谷の水の手道入口(沢の右手を登って行きました。)
途中の沢    水の手道  途中の竪堀
(仮称)水の手郭の石垣(水の手道の上部)
(仮称)水の手郭の石垣
(仮称)水の手郭
(仮称)水の手郭から斜面を見上げる
(仮称)水の手郭から見る竪堀
横掛道より下の斜面の郭の石垣痕跡
横掛道より下の斜面の郭
横掛道より下の斜面の郭
山中の大竪堀<小丸下斜面>・この竪堀の向こう側にも竪堀があります。
山中の大竪堀<小丸下の斜面>を掘底から上部を見る
横掛道より下の斜面の石垣
横掛道より下の斜面の石垣
横掛道より下の斜面の石垣痕跡
「井筒」の標識のある二重竪堀 この下に井筒池跡?
横掛道沿いの郭(標識は「大野木跡?」と書かれています)この看板の西側下に石垣
横掛道沿いにある手書きの案内板
横掛道沿いにある手書きの案内板
横掛道(北側)から再び登ります。(登り土塁状)
京極丸下の郭のさらに斜面下の石垣
京極丸下の郭のさらに斜面下の石垣
京極丸下の郭のさらに斜面下の石垣
京極丸下の郭のさらに斜面下の石垣痕跡
京極丸下の郭の桝形虎口石垣
横掛道 

横掛道は保存会とか顕彰会の方が付けられた道と思います。番所から登ってきて虎御前山城を遠望できる展望台のところで主要部へは逆Vに登っていくのですが、登らずにそのまま奥に入って行きます。 ここは昔は秋になると松茸山という事で立入禁止になるところでした。(今はどうなのかは?ですが) 奥に入るとしっかりとした小道が付いています。 御馬屋や桜馬場の下の帯郭からのぞき込んでも見えない大竪堀を見る事ができます。 この小道を進んでいくと京極丸の直下の手書き概略図案内板に至ります。 桜馬場直下付近から斜面を登ると石垣の痕跡などが見られ、桜馬場下の大きな帯郭から御局屋敷へ登ると御局屋敷下斜面にある大きな石垣の所に至ります。

虎御前山砦ビューポイント(番所の上・まっすぐ奥に進むと横掛道に至ります。)
ビューポイントから正面が虎御前山城
御馬屋下の大竪堀@の下部(横掛道から)
御馬屋下の大竪堀@の上部(横掛道から)
桜馬場下の大竪堀Aの下部(横掛道から)
桜馬場下の大竪堀Aの上部(横掛道から)
横掛道沿いの竪堀
横掛道から桜馬場下大帯郭への斜面の石塁
桜馬場・千畳敷の西下帯郭下・御局屋敷下斜面
御局屋敷下の石垣を斜面から
各所にある銅像 2021/11 

河毛駅前に浅井夫妻の銅像が、道の駅浅井三姉妹の郷のお市と子供たちの銅像があります。
また、周辺には伝承城門、浅井御殿などが移築されています。
小谷城には熊も生息しますが、天然記念物のニホンカモシカがちょくちょく現れます。

 
  道の駅浅井三姉妹の郷 お市と三姉妹の像    河毛駅前 浅井長政夫妻像      
小谷城麓ガイダンス館前兜モニュメント   清水谷入口から小谷山    

     

福寿丸   山崎丸   清水谷・出丸   大嶽城