(番外) 近江八幡3  


ファイルNo0698

近江八幡ヴォーリズ建築散策 
2019年3月 2021年11月
豊郷小学校旧校舎 ヴォーリズ建築以下、近江八幡市以外の建物はこのページ下段にリンク有)
江戸情緒の八幡の町  日牟礼八幡宮  長命寺
   2019年3月・2020年4月・2021年11月        2023年07月

ヴォーリズ建築

近江八幡は戦国期は近江八幡城の城下町、江戸期は近江商人の町、その面影が残ります。さらに、大正から昭和初めまでのヴォーリズ設計の建築物が残ります。近江八幡市内のヴォーリズ建築を紹介いたします。ヴォーリズ建築とは、ヴォーリズ自ら設計したものもありますが、ヴォーリズ建築事務所が手掛けた建物を総じてヴォーリズ建築としています。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964年)
ヴォーリズは明治末期に英語教師として来日、明治四十一年(1908年)に建築設計事務所を設立、大正・昭和初めにかけて 数多くの建築物の設計をされました。 大正八年(1919年)に一柳満喜子さんと結婚し、昭和十六年(1941年)に日本に帰化され、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗られました。昭和三十九年(1964年)、86歳で永眠されました。


①ツーカーハウス 旧 近江療養院本館
大正七年(1918年)建築。元々は結核患者の病棟としてツーカー女史の寄付で作られた建物です。近年解体の話もありましたが、保存に向けて市民団体中心に活動されているようです。
②礼拝堂 旧 近江サナトリアム 昭和十二年(1937年)建築。
③希望館 旧 近江療養院五葉館 大正七年(1918年)建築。ツーカーハウスの分館であったようで、五つの部屋が放射状にあります。

ツーカーハウス(ヴォーリズ記念病院内) 
ツーカーハウス(ヴォーリズ記念病院内)
礼拝堂 (ヴォーリズ記念病院内)
希望館 (ヴォーリズ記念病院内) 
希望館 (ヴォーリズ記念病院内)
 ④ 恒春圓<納骨堂>  訪問しましたが 写真未掲載 
ヴォーリスご夫妻が眠られるところです。 
⑤ 滝川邸  
一見普通の家ですが、窓の奥にステンドガラスが・・・。
 ⑥ 旧:忠田邸(クラブハリエ) 
昭和十一年(1936年)建築。クラブハリエのカフェテラスになってます。

白雲館
明治十年(1877年)に八幡商人が子息の教育のため八幡東学校として建てたもので、建築費はほぼ寄付で賄われたようです。建てたのは蒲生郡の大工、高木作右衛門でした。明治初期に子供の教育のために学校を作るのもすごいが、それを洋風建築にするのもすごいな。

白雲館 (これはヴォーリズ建築ではありません。)
白雲館 (これはヴォーリズ建築ではありません。)

池田町洋風住宅街
⑦ ダブルハウス 大正九年(1920年)建築。 元々は近江兄弟社の社員のための家であり、2軒で一つの建物になってます。現在もお住まいになってます。片方にお住まいの方と少しお話しましたが、信州から引っ越して来られたと言われてました。
⑧旧 ウオーターハウス邸 大正二年(1913年)建築。
⑨旧 吉田邸 大正二年(1913年)建築。 近江兄弟社を設立した吉田悦蔵氏の住居として建てられました。
⓾旧 近江家政塾校舎 昭和十年(1935年)建築。 吉田氏の奥様が婦人教員のために設立した近江家政塾の校舎として建てられたものです。 

ダブルハウス(個人宅) 
ダブルハウス(個人宅)
ダブルハウス(個人宅)
池田町洋風住宅街 旧 ウォーターハウス邸 
池田町洋風住宅街 旧 ウォーターハウス邸
池田町洋風住宅街 旧 吉田邸
池田町洋風住宅街 旧 近江家政塾校舎

⑪八幡小学校
大正六年(1917年) この地に移転してきた際に建てられた校舎です。設計は田中松太郎という方のようですが改築の際は一粒社ヴォーリス建築事務所が関わったようです。
⑫旧 広瀬邸 昭和四年(1929年)建築。 今は日本料理屋さんになってますが、改築の際にはヴォーリズのテイストを残すようにされたようです。
この近くにももう1軒ヴォーリス建築があるとされますが、確認できませんでした。

八幡小学校 <改築がヴォーリズ建築事務所のよう>
旧 広瀬邸 (改装し日本料理屋さん) 
旧 広瀬邸 (改装し日本料理屋さん) 

⑬ 旧 近江兄弟社 地塩寮 昭和十五年(1940年)建築。ヴォーリズ建築事務所の西村氏設計。近江兄弟社の独身寮として移転新築されました。「地塩寮」の名は、「あなた方は地の塩である」という聖書の言葉から来ているようです。
⑭ 旧:近江八幡YMCA会館(現:アンドリュース記念館) 明治四十年(1907年)、アンドリュース家の資金を基にヴォーリズが自ら設計したヴォーリズ建築第一号と言うべき建物です。昭和十年(1935年)に移築されたものですが、現存保存されてるようです。

旧:近江兄弟社地塩寮 
旧:近江八幡YMCA会館(現:アンドリュース記念館 移設) 

⑮ 旧 八幡郵便局 大正十年(1921年)建築。
⑯ 旧 岩瀬邸 昭和八年(1933年)建築。 棟続きに日本家屋があります。ここは病院(医院)として使用された建物だそうです。

旧;八幡郵便局 
旧:岩瀬邸 

⑰ 旧ヴォーリズ邸 (ヴォーリズ記念館) 昭和七年(1932年)建築 ヴォーリズ夫妻の住居だったところです。
⑱ 近江兄弟社学園 教育会館 昭和六年(1931年)建築。
⑲ 近江兄弟社学園 ハイド記念館 昭和六年(1931年)建築。 メンソレータムのハイド氏の寄付で建てられたそうです。

旧:ヴォーリズ邸(ヴォーリズ記念館) 
旧:ヴォーリズ邸(ヴォーリズ記念館)
近江兄弟社 教育会館とハイド館  
近江兄弟社 ハイド館

⑳ 旧 浪川邸 大正十二年(1923年)建築。 取り壊しの話は何度かあったようですが、所有者を変えながら健在です。
㉑ 旧 バリミー邸 大正十三年(1924年)建築。 現オーナーが取得され、大きく改築され、2021年7月にカフェ&バーとして開店されています。できるだけヴォーリステイストを残して改装されたとの事です。
近くにもう1軒ヴォーリス建築の民家があります。
㉒ 旧 佐藤邸 ⇒旧 前田邸 昭和六年(1931年)建築。ヴォーリズ建築事務所の佐藤久勝氏が自邸として設計し建てられたものです。佐藤氏は完成後すぐに亡くなられたため、同僚の前田氏が引き継がれて所有され、前田さんの息子さんがその後も所有されていました。2013年に息子さんの前田氏がお亡くなりになり、その後に宮村氏が所有されたそうです。その宮村氏も2020年にお亡くなりになっているようです。現在は宗教法人所有になっているようです。以前は前庭は鬱蒼としてましたが、2021年11月末時点では木々がすごく伐採されてました。
㉓八幡商業高等学校 昭和十五年(1940年)建築。

旧 浪川邸      個人宅     旧 バリミー邸(2019年)
2021年7月OPEN  旧 バリミー邸 改築されCafe&Bar「十人十家」
旧 佐藤邸⇒旧 前田邸⇒宮村氏 ⇒宗教法人所有 
旧 佐藤邸・旧 前田邸
旧 佐藤邸・旧 前田邸
旧 佐藤邸・旧 前田邸
八幡商業高校 

㉔ 旧 伊庭邸 大正二年(1913年)建築。 旧住友財閥の二代目総理事伊庭貞剛氏の四男の慎吾氏の邸宅として建てられた和洋折衷の建物です。慎吾氏は画家であり、この家をアトリエとしても使用しました。慎吾氏は沙沙貴神社の神職、安土村の村長も務められました。 邸内は開放されているため見学ができます。

旧:伊庭邸 
旧安土町で沙々貴神社近くです。
旧:伊庭邸
旧:伊庭邸
旧:伊庭邸 室内
 
近江八幡市以外のウオーリズ建築

豊郷町 豊郷小学校旧校舎
昭和十二年(1937年)、豊郷小学校の二代目校舎として建てられました。
丸紅の専務であった古川鉄治郎が資金を出し建設されたものです。
2009年、アニメ「けいおん」の聖地として人気にもなりました。

米原市 旧 醒井郵便局

京都市 旧駒井邸

京都市 同志社大 アーモスト館 啓明館

神戸市 大丸 旧居留地38番館

江戸情緒の近江八幡旧市街
日牟礼八幡宮
長命寺
 
天台宗  西国三十三カ所第三十一番札所
創建時期は確定してないようですが 平安前期には基礎的な寺院はあったようです。元暦元年(1184年)、佐々木定綱が戦死した父の秀義の菩提を弔うために三仏堂を建立後、本堂を始めとする伽藍が整えられたようです。 永正十三年(1516年)、六角(佐々木)高頼と伊庭貞隆の抗争で伽藍がすべて全焼しました。その後、戦国期から江戸初期にかけて順次再建されました。

本堂<再建戦国期 重文>
本堂
三重塔<再建戦国期 重文>
三仏堂から鐘楼の光景
三仏堂<再建戦国期 重文>
護法権現現社拝殿<再建戦国期 重文>
鐘楼<再建江戸初期 重文>
鐘楼内部と梵鐘<鎌倉期>
鐘楼から本堂・三重塔の光景
護摩堂<再建江戸初期 重文>
長命寺から琵琶湖を見る