山城 京都新城



ファイルNo3648


           大宮御所御常御殿車寄せ                 

@ きょうとしんじょう 
  別名:太閤御屋敷・秀頼卿御城・高台院屋敷
     京の城・太閤御所 
 
A住所:京都市上京区京都御苑
B目標地点:京都御所仙洞御所
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:御所庭園

F遺構等:(発掘石垣)
G時代/人物:戦国期/豊臣氏
H満足度: ーー
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  ーー
J撮影・訪問時期:2019年01月
   
   (2020年05月・2022年02月)

  

道案内 

名神高速道路の京都南インタを下り、国道1号線を京都中心部へ進みます。3Km先の京阪国道口の信号で右折(左折は国道171号線)し、東寺前を過ぎ800m先の九条油小路の信号で左折し堀川通りに入ります。JRのガードをくぐり西本願寺前を通過し3Km先の堀川五条で国道1号線は右折ですがそのまま堀川通り(県道38号線)を直進します。3.5Km先の左手が二条城です。二条城から200m先の堀川丸太町の信号で右折し丸太町通りに入ります。約1km先が丸太町御馬場の信号で左手一帯が京都御苑です。京都御所の東南部(京都迎賓館の南側)が大宮御所・仙洞御所です。
 
訪城備忘録

仙洞御所内が京都新城の城域です。遺構はありません。御所内はきれいなで広大な庭園になってます。2019年〜2020年、仙洞御所の西側での発掘調査で京都新城の石垣と堀が確認されました。西本願寺の飛雲閣、唐門、醍醐寺の唐門も従来は聚楽第、伏見城の移築とされてますが、移築時期から京都新城からの移築とも考えられるようです。

歴史

慶長二年(1597年)、豊臣秀吉が息子の秀頼のために築城したとされます。規模的には32ヘクタールあったとされるようです。慶長三年に秀吉が亡くなると、慶長四年に秀吉の正室の高台院が大坂城より移り高台院屋敷と呼ばれたようです。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦い以後、徐々に縮小され、慶長七年(1602年)には一部を二条城に移されたようです。寛永元年(1623年)に高台院が亡くなると養子の木下利房が居住したものの、寛永四年(1626年)には仙洞御所が造営されることとなり城郭は消滅しました。
大宮御所御常御殿
発掘石垣 (ネット友人に掲載許可いただいてます。)
  
仙洞御所庭園
発掘石垣 (ネット友人に掲載許可いただいてます。)
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