山城 / 二条城



ファイルNo1213

国宝の二の丸御殿を始め、22の重要文化財の建物が残る

                        内堀と天守台石垣    

@ にじょうじょう 
  別名 

A住所:京都市中京区二条城町 
B目標地点: 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:現存城郭 

F遺構等:石垣・水堀・現存御殿・現存門・説明板 
G時代/人物:江戸期/徳川氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2001年05月 他

  
二の丸御殿車寄

道案内】 

名神高速京都南インタを下り、国道1号線を京都中心部へ進みます。3Km先の京阪国道口の信号で右折(左折は国道171号線)し、東寺前を過ぎ800m先の九条油小路の信号で左折し堀川通りに入ります。JRのガードをくぐり西本願寺前を通過し3Km先の堀川五条で国道1号線は右折ですがそのまま堀川通り(県道38号線)を直進します。3.5Km先の左手が二条城です。

  


【現況・訪城記録】

御殿建築は川越城、掛川城、高知城など全国的にも残っているもの自体少ないですが、二条城の二の丸御殿は豪華さからすると別格ですね。この御殿に匹敵するものとしては近くの西本願寺の建物(飛雲閣・書院・唐門など(/聚楽第の遺構?)<非公開>もこの御殿建築に近いものがあります。本丸御殿は明治に御所より移築されたもので、通常は非公開であですが、年に何度かは公開されているようです<私の感覚では1月は確実>。いずれにしても、徳川期の完成された平城と言えます。


   
【歴史】

慶長七年(1602年)徳川家康の命で板倉勝重が普請し、翌年完成しました。家康の征夷大将軍の拝賀、二代秀忠の将軍宣下が行われました。その後も城は拡張され三代将軍家光が寛永三年(1626年)に後水尾天皇が行幸された際には五層の天守を備えていました。その後将軍の上洛は途絶えました。寛延三年(1750年)に落雷で天守は焼失しました。文久三年(1863年)に十四代将軍家茂が入城し攘夷を決行、慶応三年(1867年)には十五代将軍慶喜がこの城にて大政奉還を決しています。なお、明治27年に本丸に桂宮御殿が移築されています。 <現地案内板より>

  
本丸内堀
  
東南隅櫓
  
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近くの城・関連の城:

            

現地案内板より


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二条古城の石垣             雪の外堀