近江/ | 伊井城 |
ファイルNo1877 |
高島最古で高島の最高所にある城
@ いいじょう |
道案内 ←城跡 ←登り口 | |||
国道161号線、琵琶湖大橋から約40km先、日置前ランプで高架を下り、日置前王塚の信号で左折し、県道534号線に入ります。800m先、伊井バス停前で右折し伊井集落に向かいます。400m先集落内のT字交差点ですが、正面の民家の右横に細い道があり、T字右折しすぐに左折してここに入ります。集落裏手に出ると山に向かってまっすぐの道がありますので、ここを進みます。最初、昔は畑地?かもしかしたら屋敷跡のような区画された広い空間を左手に見ながら進みます。5分ほど行くと、勢いよく水が流れる用水講を越えてやや左手方向に入って行きます。さらに3分ほどで林道を横切ります。林道を横切って山に山側に入るとすぐに「伊井城登り口」の標識があります。ここから数分谷川沿いに進み、正面の急斜面の山肌を左に巻くようにして登って行きます。後は道なりに登りますが、比高180m地点の斜面に「城坂」という標識が立っています。さらに比高260m地点に「キリタテ」その上の比高280m地点に「新道」という標識が立っています。「新道」地点では右手の道ではなく標識の裏手の斜面の道を登って行きます。「新道」の標識から城域までは残り比高で60〜80m程度です。 【写真で登城口から城跡までの道案内を作りました。】 |
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訪城備忘録 | |||
この城は高島最古、高島最高所の城と言われています。登り口の標柱を越え、山に取り付いてから、ジグザグの道を南の支尾根の先端まで登ります。支尾根の先端からも急斜面の尾根を細かいジグザク道をひたすら登ります。途中の標識が無いとめげてしまいそうでした^^; 「キリタテ」という場所はひとつめのピークの下で東西にも尾根が延びています。斜面は20mほど切り立っていて壁のようなっています。この両サイドの斜面には竪堀の感じの窪みが斜面に数条あります。自然地形なんでしょうかね? 「キリタテ」の上に「新道」という標識が立っていますが、この付近はわりとなだらかな箇所で城の最初の防御箇所になりうるようにも見えます。「新道」は右手の道を言うようですが、これってどこに繋がっているのか? 箱館山方面かな? 城へはまた斜面を登って行きます。10分もかからずに主郭下に到達しました。 城は左手のピークを頂点に東へ急な切岸を伴って五段ほど連なります。ピーク背後には堀切があり、土橋がかかります。その先は斜面で右手に下りていくと尾根が繋がっているようですが、道も無く、木々が生い茂り、とても行ける感じではなかったです。箱館山のリフト終点から尾根伝いに来るのはここではないでしょうな。やっぱ、さっきの新道かな? 城としては基本連各郭式で土塁も無く、古い感じはします。しかしながら、ここからの眺望は高島の山城の中では一番かも。やはり、最高所で、視角が違うからでしょうな。登って来たときに鹿1頭に出会いましたが、この辺は熊の出没も考えられ、これを気にしながらこわごわ登ってきましたが、この眺望はそんな疲れも忘れるですよ。 今津市内にはヴォーリズ建築の建物が4棟(内1棟は個人宅で見つけられませんでした。)残っています。 旧百三十三銀行今津支店、今津教会、旧今津郵便局です。 |
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築城者・築城時期は不明のようです。史料には山中丹後守秀国とあり、<高島七頭(たかしましちかしら)のだれかに従属?し、>織田信長に滅ぼされたとあるようです。城の遺構からすると、すごい高所に位置していますし、土塁も無く、虎口も不明瞭で、縄張り的にも単調でありますので、鎌倉後期〜南北朝くらいの城でしょうかね。 |
眺望 |
道案内 |
今津のヴォーリズ建築と今津港 |
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