飛騨 /    高山城



ファイルNo0431

姫路城伊予松山城越前大野城などと同様の連立式の天守群のあった城

               天守郭復元虎口    

@ たかやまじょう 
  別名 天神山城

A住所:高山市城山  
B目標地点:二の丸児童遊園
C形式:平山城  D比高:100m 
E現況:山林・公園

F遺構等:郭・石垣・竪堀・土塁・水堀・説明板
G時代/人物: 戦国期/金森氏 (高山外記)
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  城山公園から10分


J撮影・訪問時期:1999年08月・2005年11月

  

道案内  

高山市内JR高山駅近く国道41号線と国道158号線との交差点(上岡本町)の信号で国道158号線に入ります。JR高山線を渡り信号3つ目で国道は左折しますが直進して県道480号線に入ります。300m先で左折し、150m先の高山陣屋前の陣屋前信号で右折し、次の信号でまた右折し200m先で左折し二の丸児童遊園まで登りそこより遊歩道で主郭まで登ります。

訪城備忘録

人々でにぎわう高山陣屋周辺より僅かに離れた城山は静かです。廃城時に徹底的に破壊されたようで山中には遺構は少ないですが、中段屋形、天守郭、出郭、三の丸などの大まかな郭は残っており、また、よく見ていると石垣の痕跡が僅かに残っている箇所もありますし、三の丸北側の現在護国神社(堀端町)には水堀がL字に残っています。本丸と大手門には虎口石垣が復元されていました。大手門は城下町である現在の高山中心部に向いているというより本丸の南西側の麓で町より少し外れた所にあります。

石垣の痕跡
歴史

永正年間(1504〜1521年)に飛騨守護京極氏の家臣で守護代の多賀出羽守の一族の高山外記が築城し天神山城と称したようです。永禄元年(1558年)高山外記は三木自綱に攻められ滅び、自綱は叔父の久綱を城に入れました。天正十三年(1585年)の金森長近の飛騨侵攻で三木氏は滅亡し、長近は豊臣秀吉より飛騨を与えられ鍋山城に入りますが、天正十六年(1588年)に天神山城に新城を築城開始し慶長五年(1600年)に完成して城を高山城としました。長近の養子可重が継ぎ、その後四代続きますが、金森氏は元禄五年(1592年)に出羽上山に移封され(同年に郡上八幡に再移封)、幕府はこの地を天領とし、元禄八年(1595年)に加賀藩によって城は破城されました。

石垣の痕跡
本丸
三の丸水堀
  
   城址碑                 模擬大手門石垣

近くの城・関連の城: 高山陣屋 松倉城 三仏寺城 鍋山城 鮎崎城(北山公園) ※