近江/ | 賤ケ岳史跡 |
ファイルNo1381 |
@ 賤ケ岳の史跡・毛受兄弟の墓 |
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【道案内】 北陸自動車道木之本インタを下り、国道8号線を横切り国道365号線に入ります。約6Km先で余呉町役場で、そこより2.5Km先の国道沿い左側に下の写真の史跡案内板があります。ここで左折し池原集落方向に向かいます。左折して200mほどで右折し400m程を道なりに進むと毛受兄弟の墓所です。砦に徒歩で行くにはここから登るようです 【訪城備忘録】 毛受兄弟の墓から登ると、金森長近の陣(橡谷山砦・距離1Km)、徳山秀現の陣(林谷山砦・距離1.2Km)、不破勝光の陣(大谷山砦・距離1.5Km)、原長頼の陣(中之谷山砦・距離1.7Km)、前田利家の陣(別所山砦・距離2.5Km)、佐久間盛政の陣(行市山砦・距離3.3Km)と続きます。<現地案内板より> 見上げれば比高は500mほどあるのでしょうか。別所山砦・行市山砦には林道経由で山腹まで登れます。 狐塚<3701 > 玄蕃尾城に駐屯した柴田勝家が前進して陣を張った場所です。北陸高速道の真横になり、現在は共同墓地になってます。 尾の呂が浜< > 余呉湖畔東側で大岩山砦・岩崎山砦の麓の場所で、ここで中川清秀の兵がこの場所で突然に佐久間盛政勢に襲われ、賤ケ岳の戦いが始まったとされる。 【歴史】 天正十一年(1583年)の賎ケ岳の戦いの時の柴田方陣城群です。 毛受(めんじょう)兄弟は尾張の人です。柴田勝家敗走の際、林谷山に留まって勝家の戦線離脱を助け討死しました。尾張旭市の図書館前に毛受兄弟の石碑(碑文)があります。 |
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近くの城・関連の城:玄蕃尾城