近江/ | 頓宮城 |
ファイルNo0841 |
@ とんぐうじょう |
道案内 | |||
国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、西名阪という信号の先で左手が国道1号線、右手が水口町(甲賀市)中心部への道に分岐します。このまま国道1号線をここより約10Kmを鈴鹿峠方面に進んだ、土山町の頓宮の信号を越えて約200m先を左折します。約500m先正面が東光寺です。右手の墓地下に碑と説明板があります。奥の墓地から右手の右を登ります。すぐを左手に登ると丘にある墓地に至ります。ここも郭跡ですが、その右手上が主郭です。城域の東側は土山大茶畑です。 |
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訪城備忘録 | |||
昔は県道41号線側から入り、そこに碑と説明板がありましたが、今は東光寺の墓地前にあり、そこから城跡には簡単に入れます。 主郭は20m四方程度の平坦地で東側からコの字に土塁があります。主郭東側に堀切があり、両サイドは短いですが堅堀になってます。その先は大きな削平地ですが、郭かは?です。この削平地の東側は大茶畑に繋がります。土山茶は宇治茶の元の言われていると聞いた事があります。主郭の西下は副郭ですが今は墓地になってます。その下のも郭跡と思われる削平地があります。 |
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頓宮城は鎌倉期には頓宮牧荘の中心部であり、郷村制の成立とともに所を得て、土山で有力豪族として成長した頓宮氏の城となります。丘の先端に東西に伸びる一帯を城山と呼ばれており、南・西はやや屹立した要害をなし、北面には空堀を巡らし、西には大日川を隔て、北城及び城の前と呼ばれる丘が続き、南には野洲川流域まで展望できます。頓宮氏は甲賀五十三家の一つに属ししており、同じ甲賀武士として長亨の役(1487年)等で活躍した土山氏(土山城)、黒川氏(黒川城・黒川氏城)、大河原氏(大河原氏城)は、頓宮氏の一族です。長亨年間(1487〜1489年)頓宮治三郎正盛の子の頓宮四方之介利盛により音羽野城へ移り、頓宮城は廃城となりました。 <現地案内板より 土山教育委員会> |