近江/ | 音羽野城 |
ファイルNo0838 |
@ おとわのじょう |
道案内 | |||
国道1号線旧土山町役場前の信号(現在は甲賀市土山支所)の信号を北に入り県道9号線を進みます。野洲川の青瀬橋の手前右手の丘の先端麓に城址碑と説明板があります。その奥に昔はなかった林道があり、この林道のゲートを入ります。坂道を登り、左にカーブしているところの左側に小さな神社(祠)があり、林道が平坦になり、100mほど進んだ左手が城跡です。 |
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訪城備忘録 | |||
城跡は北に野洲川が流れる丘の先端にあります。基本は単郭方形ですが大きな主郭(東西50mほどありそう)です。主郭は北側を除く三方向に堀があり、南西側と南東側の平虎口があります。南東側の虎口は土橋も明瞭です。堀の外側も平坦地が続き郭跡のような感じです。主郭には土塁が巡りこれも分厚く高さも2mほどあります。北西側に庭石のような石がゴロゴロしており庭園跡と思われます。 |
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文明年間(1470〜1486年)に頓宮四方介利盛が音羽野村を領した後に築城し頓宮城より移り住みました。 それ以来、当城に住み代々継ぎましたが、元亀元年(1570年)、頓宮因幡守守孝の時に、近江の守護職佐々木六角氏没落した際に織田信長に従いましたが、天正十三年(1585年))豊臣秀吉によって改易されました。 音羽野城の位置は、現青瀬橋の南東の小高い丘上にあって、現状は松、杉等の混植林となっている。本丸跡と考えられる地点には庭石などの残され、内堀・外堀も原形をとどめています。 <現地案内板より 土山町教育委員会> |