近江 / | 鮎河(館)城 |
ファイルNo0832 |
鮎河城伝承地です。館(居館)があったんじゃないかな
@ あゆかわじょう |
道案内 | |||
滋賀県側鈴鹿峠の手前、国道1号線の猪鼻の信号を北に入り県道507号線を進みます。この県道は鈴鹿スカイラインに向かう県道です。鮎河地区に入り、旧・鮎川小学校の裏手300m東の山裾に城跡はあります。旧・鮎河小学校を越え、約100m先を右折し、約200m先で道は右にカーブしており、この100m先が城跡です。(鮎河小学校は2018年に廃校になってます。) |
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訪城備忘録 | |||
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城跡は田圃と化しているものの、城址碑の立つ付近が虎口の土塁のようになって見えます。ただ、現在、この地は伝承地とされているようです。古い説明板にはこの地の北側に鷲尾城があるとされますが、最近(2016年)できた説明板には北側山上に高尾城、東側山上に鮎河城と説明があります。 鮎河城山上の城はこちら |
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南北朝期に南朝に属した頓宮弥九郎(鮎河弥九郎)が南朝の拠点とした城です。建武五年(1338年)、頓宮弥九郎は兵を挙げ鮎河城に立て篭もりましたが、北朝方の佐々木秀綱に属した山中橘六、小佐治右衛門、美濃部兵衛三郎らの軍に攻められ落城しました。鮎河城の北にある鷲尾城はこの当時の砦跡と伝えられています。<現地案内板より 土山教育委員会> |