信濃/ 知久平城



ファイルNo0328


                            主郭(天守跡)

@ ちくたいらじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 飯田市下久竪町知久平 
B目標地点:下久竪小
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:学校・宅地・畑地

F遺構等:堀・土塁・碑・井戸・説明板
G時代/人物: 戦国期/知久氏〜菅沼氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:
2002年07月・2017年03月

  

道案内 

中央高速飯田インターを降り、料金所を越え右折、国道153号線を松本方面に進みます。約4Km先国道153号線と国道151号線の立体交差があり、ここで国道151号線に入り下条・阿南方面に進みます。約1Km先の八幡公園入り口の信号で左折し、国道256号線に入ります。水神橋で天竜川を越えると国道は段丘を上ります。上りきって大きく左にカーブを切ると左手が下久堅小です。小学校の先を左折し、小学校沿いに進みます。小学校の裏手の保育園前、その先の左側、**精工という工場の道沿いにそれぞれ説明板があります。城跡本丸はこの工場の裏手に位置しますがここからは行けないみたいですので、さらに80mほど進むと道が下りますので、下る途中に左へ入る小道があります。ここを進んで50mほどで民家です。民家の裏手が出丸です。民家の左手を登り、りんご園を抜けると本丸です。また、民家の中に殿様井戸があります。井戸見学の際は家の方にお願いしてください。
 
訪城備忘録

下久堅知久平の大部分が城域だったようです。集落内のいたるところに堀・土塁が残ります。主郭は天守跡と言われる盛り上がりが認められます。また、主郭の周囲はリンゴ畑になっていますが、L字の堀の形状が分かります。堀は郭を連ねながら三重になっておりこれを三味線堀というそうです。(三日月堀が多重になってるという感じですかね) 主郭北側には出丸の盛り上りがあります。出丸の下には井戸のある民家があります。出丸にはこの民家の横を登ります。

歴史

鎌倉期に諏訪大社大祝氏の分流知久氏が箕輪より移り築城しました。戦国期には本城を神之峰城に移し、知久平城は支城として機能しました。天文二十三年(1554年)の武田信玄の侵攻で落城し、知久頼元は処刑されています。天正十年(1582年)武田氏の滅亡し、城は菅沼小大膳定利が徳川氏の家臣として入ります。定利は田峯菅沼氏の系統です。この頃、城は拡張整備されたようです。天正十八年(1590年)の家康の関東移封に従い、菅沼氏も上州に移り、城は廃城になりました。知久氏は頼元の子頼氏が家康に従い、江戸期には喬木村阿島に3000石旗本として陣屋を構え、初代則直〜十一代頼謙まで続き明治に至りました。 <現地案内板より>

    出丸         民家内の井戸跡
現地案内板より
  
主郭
二の郭東の堀
空堀
出丸遠望
出丸

近くの城・関連の城:神之峰城 阿島陣屋 大峰山城